翼を持ったケモノが飛んでゆく。国境を超えることはできない。 ほら、例の
『共犯新聞』ゲストブックだよ。
それは、思想の現象学(笑)。
もしくは、
「既に多くの人が
うっすら知っていたことを、
普及可能なように
上手に説明出来る」お布団。
その向こう側にイクための、コトバ。

★ Guest Book from your brain ★
◆ 脳味噌は、「コトバ」の溶鉱炉! ◆

全てが詩になるための、今日。 君は、 人めのゲストですよ♪
手ぶらで、おいでよ。 『共犯新聞』1面は、こ・ち・ら Let's go to our home !
Eメールだけじゃ、ダメだよ。ここに書くことが、「共犯」。 書き込みは、こ・ち・ら If you want to write the message , please click here !
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1854 Reply 「もし、ジョン・レノンが生きていたら、彼の新しいLPをこんな感じに受け入れながら私は一緒に年老いていったのかもしれないな。」 久保AB-ST元宏 URL 2009/11/10 23:42

今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。The Rain Song This is the springtime of Ms.おっす、ひろみ嬢♪月見猫's loving
The second season I am to know
>あー、当時の大友克洋よかったね。

■そう、そう。
私の大友初体験は何だったんだろー?
今、手元にある私の蔵書からすれば、1978年12月10日発行の、
『別冊奇想天外No.6 SFマンガ大全集 PART2 12月号』、かも。
この本との出合いも、大きかったなー♪
これに掲載されたのは、あの超☆名作「宇宙パトロール・シゲマ」
この作品自体の初出は、1977年2月1日号の『増刊漫画アクション』なんだけど、
その初出時、私は沼田中学校3年生の受験生(がくっ。)だったもんだから、
世間に『増刊漫画アクション』なんて雑誌が存在していることなんか知らなかったんだよなー。あたりまえ〜。
が、(たぶん)高校2年生で初めて読んだ大友の本作にはぶっとんだ。
そも&そも、私はマンガと言えば、手塚&石森な保守主義者だから、『別冊奇想天外No.6』を買ったのも両巨頭のマンガが掲載されていたから。
両巨頭の掲載マンガも、彼らなりに「実験」をしていたけれど、名も知らぬ新人=大友のたった一作には遠くおよばなかったんだ〜。
■その1978年の当時、日本人で大友を知っている人は何人いたのだろーか?
ちなみに、マンガのオタク雑誌『ぱふ』1979年2・3月号に掲載された特集「'78年度マンガ界総決算号」では、大友は、よーやく1票。
この号のもうひとつの特集は、「ますむらひろしの世界」なんだけどね。
この特集には、美少年時代のますむらひろしの美しい顔が掲載されている。今じゃ、ロウエル・ジョージみたいな顔なんだけど。もちろん、その顔も私にはいとおしいんだけど。
この、ますむらひろしの受け入られ方と、大友の無名さの対比は、1978年当時のマンガ・ヲタク状況を照らし出しているなぁ〜。うん。
■この号で読者投票で選ばれた書く第一位は、
・作品 大島弓子『綿の国星』
・作家 萩尾望都
・・・・・・そう、時代は少女マンガのルネッサンスだったのだぁー。
■ただ、著名人(?)アンケートでは、下記のメンツだけが大友を選んでいる。
橋本治、川本三郎、飯田耕一郎、渋谷陽一
27人中、たったの4人だけど、その後の活躍(?)を考えれば、こいつらのアンテナとセンスの確かさに、納得。
川本三郎はさらに、この号で「イージー・ゼイ・カム 一風変わった大友克洋」とゆー4ページに渡る大友評を書いている!
もしかしたら、これが世界初の大友克洋論かもしれない。
■まぁ、こんな風に北海道のド田舎でも私は大友克洋のデビューにほぼリアル・タイムに立ち会えた、ってわけだ。
その後、彼の最初の単行本『ショート・ピース』が発売されたときには、すぐに買いに行ったんでした〜。

>その後、「童夢」におけるコマ割の3D感とか、ガキと年寄りの描き方とか、すげえなって思ってたところだったけど

■そうそう。
そー言えば、アナログ版『共犯新聞』に『童夢』のビルが破壊する縦長の絵を大きく掲載したことがあったね(笑)。
1983年は、『童夢』と、高野文子『おともだち』の年だったよねー。
その両方とも、アナログ版『共犯新聞』にはばっちり書いたけど(笑)。
当時から『共犯新聞』はバンドのフライヤーじゃなくて、カルチャー・ペーパーだったんだな(笑)。

>第一あのラストなら、2,3,4,5,6巻もの間

■う〜む。
『AKIRA』を、そのように、ばっさり、言い切れる君が、すばらしい〜。
私なんぞは、やっぱり、まだ&まだ、そこまで言い切れる勇気が無いなぁ。
でも、君の言う通りだと思う。
たぶん、私にとっての『AKIRA』は、1980年代後半のほとんど唯一の楽しみだったからかもしれない。
忘れかけていたころ、突然、書店の店頭に積み上げられる大判の『AKIRA』の存在感にはいつも心が躍ったものです(笑)。
そのたびに、
「もし、ジョン・レノンが生きていたら、彼の新しいLPをこんな感じに受け入れながら私は一緒に年老いていったのかもしれないな。」
って薄く感じながら。
ちなみに、『AKIRA』は下記のように発売されたんだよね。

AKIRA 第1巻 1984年9月21日発行
AKIRA 第2巻 1985年9月4日発行
AKIRA 第3巻 1986年9月1日発行
AKIRA 第4巻 1987年7月10日発行
AKIRA 第5巻 1990年12月11日発行
AKIRA 第6巻 1993年3月23日発行

>dsss←あ、これ、子猫のタイピングです!

■はじめまして、子猫ちゃん♪
ぼくが、久保AB−ST元宏です。



1853 Reply 秋の夜長の共犯新聞 月見猫 2009/11/10 03:33

>高校時代に買って&読んだ大友克洋のマンガ「つやのあとさき」(単行本『ハイウェイスター』所蔵、1979年)

↑あー、当時の大友克洋よかったね。
「ハイウェイ・スター」「ブギウギ・ワルツ」「ショート・ピース」「GOOD WEATHER」等、短編集、あたしも持ってます。

その後、「童夢」におけるコマ割の3D感とか、ガキと年寄りの描き方とか、すげえなって思ってたところだったけど、「AKIRA」で結局ついていけなくなっちゃった(笑)。

滑り出し好調だったのに、読み進んでいくうち

「グワッ!!」
「バキッ!」
「ズドドドドドドドドド」
「大佐ぁーっ!!!」

1ページこれだけだから。

婦人は、なんか、戦闘シーンについてけないのよ。
どんなに絵がうまくとも。

鉄雄のキャラクターがけっこう好きだったのだけど
最終的に泣きべそな奴以上に進化させてもらってないし。

第一あのラストなら、2,3,4,5,6巻もの間

「グワッ!!」
「バキッ!」
「ズドドドドドドドドド」
「大佐ぁーっ!!!」

をやり続ける必然性、あったんですか?

戦闘シーンそのものを楽しめないんだぁ。おばさんは(泣)。

秋の夜長の共犯新聞。

なんっつって開いちまったのが運のつき。

金曜日まで長男学級閉鎖と聞き、
やけを起こしたか、あたし普段、早寝なんですけど。
あーあ、引っ張り出してきた大友克洋のマンガ、
読んじゃいそう。(笑)dsss←あ、これ、子猫のタイピングです!





1852 Reply 真っ黒〜版 『グーテン食べるクの銀紙包み系ジャガイモ』 久保AB-ST元宏 URL 2009/11/08 16:11

Mr. 危ないエロフェチアングラ?な「舞踏会」に迷い込みます。ギロでございます had a dream Crazy dream
Anything I wanted to know, any place I needed to go

Hear my song People won't you listen now? Sing along
You don't know what you're missing now
Any little song that you know
Everything that's small has to grow
And it has to grow!

California sunlight, sweet Calcutta rain
Numata town starless, Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" the song remains the same
>確かに久保さんの批評眼は鋭い!

■誤読も、創作のうちですから〜。

>《製本》は予想外に雑であった〜

■さすが、性叛サディスト♪
特に表紙が、学生ミニコミ・レベルの雑さだったけど、
私のよーな、個人博物館を持っている程度の平民のために将来、探し出しやすいよーに、せめて、第二集豪華版には必ず、背表紙を付けてね♪
一拍子、二秒死、背表紙よ♪

>徹底的なコストカッターと化したギロちゃん

■無慈悲な自費出版(?)、つーか、インディーズって、「表現」と「製作」が混濁して、で、そのぜんぶが「表現」になるんだよね。
もちろん、「メジャー」とゆー名の「分業産業」だって、混濁を整理しただけどこと。
そーゆー意味では、混濁よりもむしろ整理のほうが見えにくくなるものが多い、って、まるで現代的テーマそのものだな。

>先日の三茶フリマは主婦ちゃんたちの手芸発表会と化しており、ちいとガクっ!だったが・

■あらぁ〜(清原風。←知らねぇ、かー・笑。)。
もちろん、その傾向、北海道にもとっくのまに上陸されておられます。
昨日まで真摯な命を削った証としての油彩画の新作が展示されていた同じギャラリーで、
翌日は、とってもおじょーずに作られた手作り♪アクセサリーが販売されているのは、もう全世紀末からの日常茶飯事&プリースト判事
■んじゃま、「芸術」と「手芸」の違いはなにか!?
それは、お口を含む全身を使う「術」であるのが「芸術」であるのにたいして、おざなりに(?)手だけでラッキー・ホールに作れちゃうのが「手芸」か?
さらに、「お口を含む」「絵本」のことを、「」と呼ぶのか?
■んで、あと、外国語に通じているギロ男爵に質問だけど、
先日なくなったクロード・レヴィ=ストロースの有名なキーワードに、
「ブリコラージュ」(=端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ること。)ってのがあるけれど、
これは精神的初期衝動からして、「芸術」よりも「手芸」に近い思想なのかな?
また、「ブリコラージュ」と「コラージュ」は同じ意味として理解していいのでしょーか?
さらに、「ブリコラージュ」と「エロ・コラージュ」には共犯関係はあるのでしょーか?
■それにしても、「芸術」と「手芸」から「芸」を抜いて止揚すれば、「手術」になることには、実は何か深い魔法の意味が準備されていたのか?
はたまた、ならばギロ男爵はいかにして「手術」をプレイにすることに成功したのか?

>本書に収録した作品は比較的穏便傾向

■そ、そーなのか・・・。
今のところ人類史においては、私とギロ男爵の邂逅は2005年11月19日の一回のみとしか記録されていないが、
確か、そのときもギロちゃんは私に氏がプロデュースされたパゾリーニDVD豪華3本立てセットとともに、ご自身で作られたコラージュ絵ロ葉書をプレゼントしていただいたのだったかな。
確かに今回の絵ロ本、「性器バンバン残虐ビンビンだと海外で印刷製本せにゃならん〜」ゲリラ戦の闘いとして選択された「比較的」なんだろーなー。
しかし、その「闘い」も含めて作品だからね♪それは、ギ男爵のココのお師匠=パゾリーニ王子も、そーだったんだからー。

>ツマラない教訓話・笑えない笑い話

■文豪ギロは、まず自らをゴミにしてみたのか。

>「いわく言い難いヘンさ」を読み味

■それには、成功していると思います(笑)。

>マジに読もうと思うと必ずや消化不良に陥る・それで良い。

■マジに読ませるために、箱入り&ハード・カバーにしてみる戦略の選択は無かったのでしょうか?

>異物感あり・ヘンなの〜・見なかったことにしーよぉ・二度と見ない

■すべての革命や、すべての大傑作は、最初は異物感として登場してくると思います。
それは、すわりの悪い翻訳文体のように。

>ユダヤ系スイス人

■めざせ!アイヌ系琉球人!

>御出資頂けそう

■もちろんざ〜ます♪
我が社の全社員が朝令暮改で毎朝唱えている社是は、「メセナ鼻くそを嗤う。」でありますから、かような文化事業への援助交際には、びた一文も押尾学
ですから、さっそく、昨日のうちにギロ邸へ、
第二集豪華版出版の印刷作業にとっても役に立つ、イモ版用新ジャガイモを、第二集のページ数ぶん送っておきましたから♪
■それにしても、「ブリコラージュ」が提唱されたレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』も、
マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』も、ビートルズもストーンズもボブ・ディランも、
久保元宏も、ぜ〜んぶ1962年に下界に現れてきた偶然性に神の強い意図を感じるなぁー。・・・がくっ。



1851 Reply あ〜届きましたね〜ギロちゃん絵ロ本♪ ギロでございます 2009/11/07 22:43


あ〜届きましたね〜ギロちゃん絵ロ本♪
確かに久保さんの批評眼は鋭い!

■《製本》は予想外に雑であった〜(←あらら・笑)それに、色校正で確認したわりに仕上がりにおいて
何故か最初の数ページで赤がキツい!だがかなり・法外に・安く出来た〜(笑)てぇのは、さすがに
今回はCDのように身銭を切らずには済まなかったので、徹底的なコストカッターと化したギロちゃん
であった〜ま、アングラアート・フリマの相場観だったらなんとかペイするお値段ではあろ〜
ちなみに明日は祖師谷アート・フリマだがちいと偵察してこよー。
先日の三茶フリマは主婦ちゃんたちの手芸発表会と化しており、ちいとガクっ!だったが・明日はどうか?


■《画像》については10年来の精進研鑽の賜物・と言っちゃうとハナ白んじゃうが、
まあ本書に収録した作品は比較的穏便傾向ですわよ〜性器バンバン残虐ビンビンだと海外で印刷製本
せにゃならん〜しかしエクセルで原稿に仕上げたのは画質劣化を招き・失敗じゃった〜


■《テキスト》については多分、狙い的中?〜久保さんは真の作者がいかに文豪であるか・どっぷり
ご存知だが(笑)わたしは敢えて生硬さ・不発感・落ちないオチを狙ったぁ〜読者様には首をひねってもらい、
本書に「離」の態度で接して頂きたいと思ったぁ〜そこでツマラない教訓話・笑えない笑い話ほど
読者様を「引かせる→『離』の態度」をとらせるものはない〜との目論見。
本書は『ヘンタイさんが鼻息荒く没入しちゃう』ような読まれ方は(←あってもいいけど)望ましくなく、
「いわく言い難いヘンさ」を読み味としたかった〜


■ま、本作をギロちゃんが「大真面目に」作ったとは思わないでね(←誰が思うか・爆)と同時に、
マジに読もうと思うと必ずや消化不良に陥る・それで良い。ある種の「新興宗教パンフ」のような
クソ真面目さにはニヒヒ〜、しかし異物感あり・ヘンなの〜・見なかったことにしーよぉ・二度と見ない、
とゆーリアクションこそ期待。
なればこその奇妙なユダヤ系スイス人と聞いたことのない翻訳者の存在は・報われよう〜(笑)


■さて、総じて「ご好評」?頂けたからには、第二集豪華版出版に向けて久保商店様より多大なる
御出資頂けそうで何より何より(爆)







1850 Reply リビドーの黄昏と、ヒヨワ猿人の夜明け。 久保AB-ST元宏 URL 2009/11/06 00:29

Spent my days with Mr. 危ないエロフェチアングラ?な「舞踏会」に迷い込みます。ギロでございます unkind,
Smoked my stuff and drank all my wine
Made up my mind to make a new start,
Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" Going To California with an aching in my heart
>積雪による遅配

■大衆紙『共犯新聞』に既報のとーり、無事、ギロちゃんのゴースト・ライティング本『cypher's photomanipulation & short stories』は、
シベリアの風雪と、レニングラードの風説を、掻き分け&書き分けて、昨日、無事、『共犯新聞』ビルヂングに到達した。

>若い者にゃー負けてるがー
明日のオレには
勝っていーるさぁー

■そ、それって「強い」、のかぁ?

>これは動物界の群れにおける統率行動原理から類推しやすい。

■追悼★レビストロース翁。

>「ヒヨワもヒョウも似た者同士、ここは同盟を組んでボス猿人を撃退しませう」と画策しなかったのか?

■それはよく言われる、
日本政府「もしも、北朝鮮が韓国に攻めてきたら、日本が韓国にまで助太刀に行きまっせ♪」
韓国政府「もしも、そんなふーに、日本の軍隊が韓国にやってきたら、韓国は北朝鮮と組んで日本を追い出しますわ♪」
的なコリアン・ジョーク的な?

>これはすごいことだ、学習している!ぶたれた時のイタさを記憶している!

■う〜む。
私は、そこまではオートマチクックなんだと思う。
むしろ、興味深いのは、その先だ。
つまり、歴史の発展の過程で、「ヒヨワもヒョウも似た者同士、ここは同盟を組んでボス猿人を撃退しませう」と画策する動きも生じたはずだ。
もしかしたら、その画策の瞬間、多分、ヒヨワ猿人は、人間に「進化」したのだと私は思う(麻生太郎風語尾。)。
整理すれば、共犯進化論は、こ〜んな順番だ。

共犯進化論 ; 猿人→ボス猿人→ヒヨワ猿人→人間。
どーだ?
これは画期的な進化論の発見だと言わねばならない。まさか、極東のエロ・サイトの掃き溜め掲示板で、このよーな大発見が今夜されたとは!
たぶん、今までのダーウィン的進化論は、こんな順番だったはずだ。

旧説進化論 ; 猿人→ヒヨワ猿人→ボス猿人→人間。

より「体格において優勢」な種が、進化の延長上に存在する、っーのが昨夜まで京大やらスタンフォード大学やらで語られていた「迷信」進化論だ。
繰り返しの説明になるが、
共犯進化論においては、「ヒヨワ」であるがゆえに、「ボス」を裏切るとゆー「発明&発見&工夫」をするとゆーことだ。
猿人期における、<裏切るとゆー「発明&発見&工夫」>は、「進化」の過程でより複雑になってゆく。
この「裏切り」の概念の「進化」形態が、たとえば、「戦争」や、「金融派生商品(デリバティブ)」や、「ナショナリズムを超えようとする意思」となってゆくのだ。
つまり、これらを「複雑性」の発見、とゆー進化論の歴史段階の名称をあたえてもてもよい。
ふたたび上記の「旧説進化論」の流れを見ていただければ、この単純な直線的過程には、「複雑性」が芽生える可能性は少ない。
しかし、それが「共犯進化論」では、みごとに当てはまるのだ。
また、ギロちゃんが雑に書いた、「体格において優勢な猿は、ボス猿として君臨」のみが、「自然の摂理」であるとすれば、
人間の祖先は恐竜だ、とゆーことになるんじゃねーの(笑)?
ここでさらに「共犯進化論」を応用すれば、
恐竜の絶滅の理由は、恐竜が「複雑」ではなかったから。
つまり、より強いものが強いとゆー垂直的ヒエラルキーのみで、ヒヨワ恐竜による異種への「裏切り」が行われなかったから。
ほ〜ら、ちゃーんと、「共犯進化論」で全てが説明できるでしょ♪
だ・か・ら、
短期的歴史過程では「強い」ものが生き残るが、
長期的歴史過程においては、「弱い」ものが進化を担うのだ。

>「右頬を打たれたら左尻を差し出す」と主張したイエスキリストは、多分、疾患扱いされても仕方あるまい。

■前回のレスで書いた共犯精神史観の「精神疾患は、抑圧される側ではなく、抑圧する側に起こり易い」の変奏曲として、
イエス・キリストは人類最初の精神疾病患者だった、と位置づけてから考察&コジツケを深めるのも楽しいジェントルマンの愉しみっぽい。

>(ただしロバのタクシーで)

■人類の前に現れた二度目のキリストは、ドン・キ・ホーテだったわけじゃ。

>それにしては彼の言論は権力志向とは程遠い。

■ただ、「破壊者としてのキリスト」とゆー考察は古くからある話題だよね〜。

>安易な反権力を標榜することは権力への盲従にほかならない!とゆーギロちゃん思索のライフワーク

■「安易」じゃなけりゃ、いーんだね(笑)。

>もちつ・もたれつ・もつれつつ。こうして揺り戻されながら社会は一定幅のなかに安定し歴史が積み上げられてゆく。

■それでも、1992年に出版されたアメリカの政治経済学者フランシス・フクヤマの著作『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)が、
第二のノストラダムスの書(←ほんとか?)と言われるようになるかのよーに、歴史は「積み上げられ」はするが、「終わり」はしない。
なぜならば、我々は流動性のことを歴史と名づけたからだ。

>芸術はこうした唯名論法に風穴をあけるべく

■ゲイ術とは、精神疾患とゆー肉体を串刺しにして直腸的に開けられた肛門としての風穴、か。

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If Ms.おっす、ひろみ嬢♪月見猫 keeps on raining levee's going to break
今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。When the levee breaks have no place to stay
ギロさん絵本完成おめでとー。

■まず、造本がすばらしい(笑)。
次にギロ男爵ファンにはお馴染みのエロ写真コラージュの集大成(?)が味わえます。
3番目が文章、かな。つまり、今回は言葉が一番、弱い。
最後の最後のオチも、おおお、でしたし、
ましてや、私の場合、たま&たぁーま、『ゲド戦記』第四巻「帰還」の最後のほーを読んでいた最中だったので、女が犬になる描写が写真以上に、わわわ・でしたがー。
掌ショート・ショートとして、もっともよくできているのは、「24 マディソン群の鹿」、かな。
あとはわりと、あっさり系〜かな。もちろん内容はネチっこいし、ナチっぽいんだけど、文豪ギロならばもっと書けるはず〜。

>ついに我が家の5歳児はインフルエンザの流行に引っかかって

■我が北海道沼田町も、新型インフルエンザ蔓延で、小学校も中学校も、学校閉鎖→学芸会&文化祭を一週間ズラし、
地域の各高校は修学旅行時期だったので、ヒヤ&ヒヤしながら京都やら東京へと飛んだり&途中強制送還したり、だったよーだ。
最新情報(?)では、学校閉鎖が解かれたばかりの沼田中学校に再び、2年生が学年閉鎖の事態みたい。
今んとこ、日本中で北海道が一番、患者密度が高いよーだよね。
んでも、春先の大阪のマスク現象みたいなのは、北海道には起きていないんだよね。・・・あいかわらず、のんびり屋さんな道産子たちー。

>ギロさんの言葉を聞いていて、現実には「思わず手が出る」っていう健全さを

■あら、月見猫話法、ね(笑)。

>哲学や思想でなくて、人としての反射神経だよね。

■私はむしろ、
「人でなくて、哲学や思想としての反射神経だよね。」ってのと、ごちゃまぜに、もちつ・もたれつ・もつれつつ、
哲学と思想と人がぐちょ&ぐちょにならなければ、
哲学も思想も人もダメだと思う。
そんな哲学ならばいらないし、
そんな思想ならばじゃまくせーし、
そんな人なら猿人だしー。
こりゃ、「生きざま」(がくっ。)の三分立、だな。

>自分をとっても健全だと信じきって、病に冒されている方も多ございます。

■あー、いる&いる(笑)。

>「お前が病気だ!」とあたしは心の中で叫んだのだったが

■そーだ、そーだ。

>叫びを、なんらかの現実の行動にうつすことは出来なかった。

■それは、その場とかじゃなくても、「子育て」とかで表現できるし、君ならしてんだと思うよ。

>そうして、「常識人」に成り下がっていくのね。

■あはは。映画『沈まぬ太陽』共犯感想文、愛読ありがとうございます。

>すっかりドライフラワーと化しております。

■高校時代に買って&読んだ大友克洋のマンガ「つやのあとさき」(単行本『ハイウェイスター』所蔵、1979年)で、
主人公の落語家が艶のなくなった嫁を、「砂漠のシャボテン」だ、と独り言を言うんだけど。
それを想い出した(笑)。
それでも、先日、52歳のセンパイと話していたら、彼は、
「性欲が無くなってからのセックスのほうが、本当に相手を愛しているからやるのだから、素晴らしい。」と、言ってた(笑)。
今の私(たち)みたいだ(?)。
・・・つーか、そんなことを普段言わない人なので、死ぬほど同意してしまいました〜。
その変奏曲として、
子供を作れば、生殖機能の役割&責任から解放されるから、生殖機能は次のステージ(=たとえば、恋。)に向かうことができる。
ってなレトリックも成立すると思うしー。
まぁ、どんなヤングでも24時間なわけじゃないんだから、リビドーも周期なんだと思う(笑)。
つまり、たまたま、今は周期が長いスパンになってるだけなんじゃないの(笑)?
さっきギロちゃんに書いた理論をリサイクルすれば、
「より強いものが強いとゆー垂直的ヒエラルキーのみ」では本質的な「進化」は起こらないのだから、
リビドーがヒヨワになってからこそが愛の夜明け、なんじゃないの〜(←やや、無責任・笑。)?

>性欲レベルじゃ自分もこの奥様と一緒かも知れません。(笑)

■しかし、こんな話題をするようになるとは、私たちもずいぶん長生きをしたもんだねぇ(笑)。
確かに私のまわりでも、もー30歳代から、そーゆー興味が失せたり、なにがなにしない人もかなり多い。・・・・・・これは、日本人の特性なのか!?ギロちゃん、おせーて。
そー考えると、マメにエロ画像を送ってくれるblue.treeくんは私の同級生として、かなーり、ごりっぱ、だとゆーことか♪
ならば、あのよーなを作っちゃうギロ男爵は、NPO法人大日本リビドー協会の名誉大リビドーに値されるお方じゃのう。
これから、『共犯新聞』も意識的&積極的にエロを取り入れて、みなさまのお役にたてばと考えています(笑)。
その手始めに、ゲストブックのトップの画像をリビドー誘発的(?)にしてみました。いかが(笑)?

>「男ってさあ、お金稼ぐパワーと、性欲と、正比例するよね!」

■う〜ん。・・・・・・ノー・コメント(笑)。

>エロマンガならなあ、もっとリアルにねちっこく描写しろよー!

■あ。今回の月見猫のカキコミで、ここが一番、同感しました〜(笑)。

>もちろん何の行動にもうつしませんでした。

■がくっ。そーゆーオチかよっ(笑)。



1849 Reply リビドーの過ぎ去った抜け殻なあたし 月見猫 2009/11/05 16:34

ギロさん絵本完成おめでとー。
機会があったら、あたしにも見せてね。

さて、欝談義に花咲いているここのゲストブックでありますが

ついに我が家の5歳児はインフルエンザの流行に引っかかって
今朝の発熱38℃から、午後になって39,8℃までいきました。

それでも、タミフルもらって飲ませたし、
この先呼吸困難でのた打ちまわったり、痙攣起こして泡吹いたりは
しなくて済みそうかな、って一息ついています。

「医学の進歩なんて言ったって、現代の我々は、
風邪ひとつ治すことも出来ていないんですよ。」
と言った小児科医の言葉を思い出します。

特に、西洋医学って、対症療法的だよね。
でも、それでいいのかな、とも思う。

>例えば目の前に親しい重篤な鬱病患者がいて、もしも死のうとでもしているのなら、
わたしのこの手は一応はその行為を押しとどめるだろう。
それはやむにやまれずな行為であり思想や哲学とは関係のないことであろう〜

↑ギロさんの言葉を聞いていて、現実には「思わず手が出る」っていう健全さを
あなたは充分に持ち得ている、と感じますね。

哲学や思想でなくて、人としての反射神経だよね。

しかし、ポスト・バブル期の新3Kが「個体」「個性」「孤独」なら
こういう反射神経って、鍛えられる機会がなかなかないと思うよ。

きっと幼児期からのスキル積み重ねがけっこう重要だったりするもん。
あたしなんかも、「自分が善き人でありたい」と願うに対して
その反射神経鈍い自分がちょっと嫌、ってとこ、あるもん。

さて現代は、「僕を『病気』と名づけてシェルターに安住させて欲しい」と思ってる方が多くいる一方で
自分をとっても健全だと信じきって、病に冒されている方も多ございます。

これ、前にも書いたかな。
子どもの学校の「地域班」で、回してる安全パトロールの腕章&日誌があるのだが

あるお母さんの記述
『往来でお年寄りに道を聞かれている小学生を見て、
通りかかった数人の小学生がお年寄りを不審者だと言って交番に通報した。
警察は、道を聞かれた子どもの家に事情聴取を行うなどしたが、
結果、事なきを得たそうだ。
いざとなれば動ける子どもたちの行動力に感心した』

と結んであったものを見つけ、
「お前が病気だ!」とあたしは心の中で叫んだのだったが
叫びを、なんらかの現実の行動にうつすことは出来なかった。

「善き人」である地域のお母さんの中で、浮いた人になる勇気がなかったのだ。
そうして、「常識人」に成り下がっていくのね。

人工授精に精出したりしてるご夫婦も、あたしに言わせりゃ病んでるよ。

治療法は、「リビドーをかき立てろ!」ですかな?

かくいうあたしなんてもはやリビドー無し。
すっかりドライフラワーと化しております。

「最近やる気が出ない…(45歳主婦)」という出だしの
サントリーのネットCMを見てしまいまして。
膝丈のスカートにエプロン、腰から上が前傾姿勢のパーマ頭の女性登場、
そのご主人とおぼしき男性が「おーい、母さん。ワシの靴下…」というのを聞いて

「一人称『ワシ』なんだ!」

と、愕然としましたが
見た目精一杯若作りしてても、性欲レベルじゃ自分もこの奥様と一緒かも知れません。(笑)

ついでに言えば、旧友が、自分の配偶者の稼ぎが悪いことに愚痴りまくり
「男ってさあ、お金稼ぐパワーと、性欲と、正比例するよね!」
って言ってたことを思い出しました。

権力者のサルのもとにはメスも群がるんですな。

さらに蛇足で。
先日出かけた帰り、道端でエロマンガを拾ってテンションがどえらく上がってた
我が家の小学2年生でしたが、同級生の女の子と
「ねーねー、この本の真似してあとで『ごっこ』するう?」
「いいよー!」とはしゃいだのちに
結局すぐに忘れて、放ってあったその本を
あたしは処分するかたわらチラ見(笑)して思った。

「お母さんはついていけない。」

ロリコンものではないのに、登場人物の女の子が、皆、激しく童顔。
その下にバレーボールが2つついてるわけですよ。

「エロマンガならなあ、もっとリアルにねちっこく描写しろよー!
こんなんじゃ、あたしは濡れねえんだよっ!」

そう心の中で叫んで古紙回収の袋に分別しました。(笑)

もちろん何の行動にもうつしませんでした。



1848 Reply もちつ・もたれつ・もつれつつ。 ギロでございます URL 2009/11/05 00:32


そいや、あんまり久しぶりなんで「中身はともかく?読みにくい」と言われていたのを忘れちゃって、以前の天声人語スタイルで投下しちゃったよん。
ま、久保さんくらいしか読んでくれないのがワタクシの駄文・多分。


>ギロちゃん絵本、贈りましたよん♪

■まだ&まだ私の書斎にまでは届いておりませんが

□都内の秘書んとこには届いたらしーので、積雪による遅配と思われまする。


■ギロちゃんは性的であり、久保は政敵なのね♪

□やん〜最近ギロちゃんリビドーが低下の一途、まずいよね・トシかしらん。
 なので「リビドーをかきたてろ」とゆー歌を作ったばかり。

http://members3.jcom.home.ne.jp/guillo/songs/ribido_o_kakitaeroyo.mid

右上「URL」のトコをコチョコチォすると鳴るはず(←多分)

【歌詞】

リビドーをー
かきたてーろよー
リビドーをー
かきたてーろよー

若い者にゃー負けてるがー
明日のオレには
勝っていーるさぁー

リビドーをー
かきむしーれよー
リビドーをー
かきたてーろよー

□久保たんは政敵ちうか沼田町政のステークボルダーとして是非&是非・頑張りんさい〜


■せっかく、ちょー久しぶりにギロちゃんが遊んでくれるので、この機会に質問するけど、

人類初の精神疾患の患者は、権力に押さえ込まれた者ではなくて、むしろ、権力者であった。
それが証明されれば、精神疾患は、抑圧される側ではなく、抑圧する側に起こり易い、とゆーことが立証できるのではないだろうか?

□うーん。。超アバウトな共犯史観からすっとそーなるのかしらん。あるいは権力の側に意図的に擦り寄らない・寄れない?消極的翼賛ポジションな立場における史観てことになるのかなぁ〜
□権力の問題は性の問題と双璧をなす・わたくしの永遠のテーマ。
□さて、権力の発生ちうのは、起源的な観点からすれば、おそらくは暴力に基盤を有するのであろー。これは動物界の群れにおける統率行動原理から類推しやすい。体格において優勢な猿は、ボス猿として君臨、ヒヨワで劣位な猿たちはボスの軍門に下る実態、これはいかにも「自然の摂理」っぽく語られている。
□そこで、かつてまだ人間が猿と未分化だった頃、力の強いボス猿人は数多くの劣位なヒヨワ猿人たちが作る円陣の中心に陣取り、「オレさまが権力者である」とエンジン全開、その宣言に劣位猿人たちはこぞって賛同した・と空想してみる。
□なぜヒヨワ猿人たちは、例えばライオンや豹たちと密談し「ヒヨワもヒョウも似た者同士、ここは同盟を組んでボス猿人を撃退しませう」と画策しなかったのか?はさておき、多分ヒヨワ猿人たちはボスにイチイチ逆らってもしょーがない・と諦めていたのであろー。
□では問題はなぜ諦めたか?であるが、そこには多分、ボス猿人から殴られた経験があったのだ・と推察される。実際、野生の猿の場合、一度はボス猿に挑みながらもボコボコにされちゃった→軍門に下る・とゆーケースが散見される。
□最初の時はきっとボス猿人は実際に・ボコン!とやっただろー。ヒヨワ猿人たちは「あぁ〜ご主人様、もっとぶってー」と赤いお尻を差し出さず、スゴ&スゴ、引き下がった。しかし二度目・三度目の時、ボス猿人はきっと、鞭を振りかざしただけであろー。ここには高度な学習能力、そしてそれを下支えする抽象化能力が見受けられる(▲)。「あっ、ぶたれる」と直感したヒヨワ猿人たちはケツをまくって尻尾を振り、逃げ・かつ・擦り寄ったんである。
□これはすごいことだ、学習している!ぶたれた時のイタさを記憶している!そしてボスの振り上げた手に対して「また、やられる」というふーに、近い将来を予測している!ボス猿人だってすごい。実際に殴らなくてもコイツラはオレに服従するのか、ってな学習をしたに違いない。
□ここいらから「暴力」→「権力」へと移行するのであろー。
□ボス猿人と彼に服従するヒヨワ猿人たちの間に、自然と役割分担が出来てくる。外敵が来たらまずボス猿人が防衛しヒヨワ猿人たちは逃げる(笑)か、後方支援する。獲物が来たらまずボス猿人が襲撃し、ヒヨワ猿人たちはその指示のもとに・右前足にかじりつき・左後足をひっかいたり・したであろう。こうして猿人たちは狩猟をチームプレーとして合理的・効率的に行っていった!
□ボス猿人にしたところで、捕った獲物の全部が全部、自分で食っちゃったら腹いっぱい(笑)というよりも、ヒヨワ猿人たちが役に立つのであれば、奴らにもちゃんと食わせて次回の狩にも役立ってもらおう・との経営者精神を発揮する。久保商店代表取締役社長と似たような思考パターンである。
□やがて文明化し農耕が始まると、今度は「知力」→「権力」という移行もあったことはフーコーの書いた通りであろー。
□こうした末に数万年、「権力」は、宗教的な儀式やら律法やら政治的システムやらといったイデオロギー的な側面において自らを補強していった(☆)。古代ユダヤ教の律法しかりローマ法もしかりナポレオン法典しかり。これらは「ヒヨワ猿人たちの権利を一定的に保護し、ちゃんと食わせて、次回も役に立ってもらう」とゆーためのキマリごとだ。
□一方、「被抑圧者」たちにしたところで、ボス猿人だけが我が久保商店の命脈を握っているわけではない、と主張するだろう(★)。王政から共和制への移行、古代ギリシャの直接民主主義、マグナカルタ大憲章、人権論しかり。
□ここで再び「権力と精神疾患の問題」に戻ると、はて?なんだったっけ?(笑)
□上記▲に見る、高度な抽象化能力、ここいらあたりにその萌芽が見受けられよう。しかし人間の抽象化能力を基盤とする精神活動云々については、すでに久保社長の座右の書「ものぐさ精神分析」著者あたりが書いていたよーな気がする。ボス猿人もヒヨワ猿人たちも、ともに双方にとって都合の良い抽象化をし、それによって・猿のくせにウマくいくのであれば・いやー良かったね!
□無論、この程度ならまだ「疾患」と言いうるほどの異常事態ではあるまい。
□しかし、「歯には歯」「尻に尻」が社会安定剤だった古代ユダヤ社会において、「右頬を打たれたら左尻を差し出す」と主張したイエスキリストは、多分、疾患扱いされても仕方あるまい。
□さて、イエスは「権力に押さえ込まれた者ではなくて、むしろ、権力者であった」のか?
□無論、イエスを・ローマ帝国に追従する弱小ユダヤの既存権力者たちに対抗した抵抗勢力・と政治史的に解釈することは可能。イエスは虐げられた人々やサドカイ派を味方につけてパリサイ派や律法学者たちを排撃し、権力を奪取しようとエルサレムに入場した(ただしロバのタクシーで)、というのが歴史的事実であったのかも知れんが、それにしては彼の言論は権力志向とは程遠い。無論、福音鹿たちが削除しちゃったのかも知れんが、どーなんだろ〜?

□とはいえ、ここで言いうることは、上記の☆★は互いにもちつもたれつ、社会の恒常性の保持→生産性の向上・再生産→資本主義的生産様式の安定・に役立つわけだ。つまりココらから、権力者と被抑圧者とは常にウマイ具合に馴れ合っている!安易な反権力を標榜することは権力への盲従にほかならない!とゆーギロちゃん思索のライフワーク、その入り口に辿り着いたのであるが、今日はこっちには行かない。
□結論的には、コレに近いのだし。

現在、数多く見られる抑圧される側の精神疾患とは、現代社会における抑圧される側の内面には、抑圧する側(=つまり、いわゆる「権力者」。)の理論が巣食っている、とゆーことではないだろうか?
つまり、労働組合運動などの擬似的(笑)革命活動が、抑圧される側と抑圧する側の精神の区分けを曖昧=流動的にした。
そーして、ついには「権力」が両陣営に薄く公平に(笑)染み付いた・・・。

もちつ・もたれつ・もつれつつ。こうして揺り戻されながら社会は一定幅のなかに安定し歴史が積み上げられてゆく。


>個体の問題

■ちなみに私が最も興味が薄いもののひとつが、それ、です(笑)。

□わーたーしーも、個体の問題てのには、興味や心配はあるけど、思想や哲学とは、別事件ではないにしろ別次元だと思いますな〜
□例えば目の前に親しい重篤な鬱病患者がいて、もしも死のうとでもしているのなら、わたしのこの手は一応はその行為を押しとどめるだろう。それはやむにやまれずな行為であり思想や哲学とは関係のないことであろう〜
□まるで「飢えた子供の前の文学の有効性」に似たよーなハナシだが、今時、腹いっぱい食べてる子供にしたところで文学なんざ読まんのだから、すでに文学なんていささかも有効ではあるまい。
□しかしその人が

自分の「物語」を聞いてもらいたがっている。

んだとしたら、それは確かに「・・・・・・げー。」だ。


□ともあれ、自分の「書き込み」で聞いてもらいたがっていた(笑)のにレスがないから自己注しちゃうと、
鬱病患者が「立派な病気」であることは企業にとって「心地よい」のだ

■そーか!
「病気」になりたい。=「社会」に認められたい。ってことか!「病気」になりたい、って、名付けられたいってことだからね。

□鬱病を「病気」と扱うことで、おそらく社会は安定するのであろー、すくなくとも企業としては「ただのサボリ」よか「鬱病」な方が、有休だの休職だのを出しやすい。医者が診断書を書いてくれれば社会は助かる。医者も儲かる。製薬会社も繁盛する。世の中は丸く納まる。患者はクスリづけ、治るかどうかは本人次第。
□さりとて患者にしても、ナンだか分からん落ち込み・ヘンな気の滅入り、なままでいるよりは立派な「病名」を頂いたほうが安心だ。社会に認知され、居所を与えられ、安心してそこに安住しうる。生理的な病気よりも治りにくい・治しにくいのは、おそらくこのためだ。

□ところで、社会学はこうした仕組みについて解明することを役割としており、個体の症例について心配したりアドバイスしたりするのは範疇ではない。
□それと同様に、芸術はこうした唯名論法に風穴をあけるべく、例えばこの「ナンだか分からん落ち込み・ヘンな気の滅入り」を剥きだしに投げつける、とゆー手法をもって、例えばアナーキズム精神を高揚させるのである。

□以下、ギロちゃん絵本の「訳者あとがき」参照ね(爆)しかし芸術・とは、恐れ入ったね!






1847 Reply 全ての花に名前があるように、ひとりにひとつづつ病名をつけよう。 久保AB-ST元宏 URL 2009/11/03 19:45

So Mr. ギロでございます's packing my bags for the Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" Misty Mountain hop
Where the spirits go now, over the hills where the spirits fly
>ギロちゃん絵本、贈りましたよん♪

■どーも函館あたりの税関マッサージに引っかかっているよーで、まだ&まだ私の書斎にまでは届いておりませんが、楽しみだわ♪

>「水虫」が社会化しないのとは大違い

■確かに、「水虫」たちは、「稼いで→モノを買う」。
鬱病は、社会のウジ虫であっても(失礼。言葉のあや=詩歌ですから、これ。)、会社の水虫では、ない、の・か?
整理すれば、水虫は動的であり、鬱病は静的であり、ギロちゃんは性的であり、久保は政敵なのね♪
つまり、円&株の上下よりも、「上下すること」のほーが、「稼いで→モノを買う」が活性化するっちゅーう、スキゾ(←懐かしー!)資本主義ってことね♪

>ま・連中は権力者であったからには好き勝手・したい放題しても良かったんでしょーが

■せっかく、ちょー久しぶりにギロちゃんが遊んでくれるので、この機会に質問するけど、
「精神疾患が発明・定義づけされたのはせいぜいここ150年」ってのは、まぁ思想史の基本料金ってことだけど、
私がギロちゃんカキコを読んでいて感じた仮説&妄想=つまりは、ひっくるめてのギロちゃんへの質問は、下記。これ、どうよ?

人類初の精神疾患の患者は、権力に押さえ込まれた者ではなくて、むしろ、権力者であった。
それが証明されれば、精神疾患は、抑圧される側ではなく、抑圧する側に起こり易い、とゆーことが立証できるのではないだろうか?
この立証を展開すれば、たとえば現在、数多く見られる抑圧される側の精神疾患とは、
現代社会における抑圧される側の内面には、抑圧する側(=つまり、いわゆる「権力者」。)の理論が巣食っている、とゆーことではないだろうか?
つまり、労働組合運動などの擬似的(笑)革命活動が、抑圧される側と抑圧する側の精神の区分けを曖昧=流動的にした。
そーして、ついには「権力」が両陣営に薄く公平に(笑)染み付いた・・・。
その罪への罰として、抑圧される者も、精神疾患を病むよーになった。
ちゅー私の共犯精神史観は、どーよ?

>個体の問題

■ちなみに私が最も興味が薄いもののひとつが、それ、です(笑)。
だからこそ、バブル期に忌み嫌われた3K(=「危険(きけん)」「汚い(きたない)」「きつい」)に対して、
ポスト・バブル期=大日本鬱期を『共犯新聞』社主が解説するならば、新3Kは、(=「個体」「個性」「孤独」)だ。
だれもが、自分の「物語」を聞いてもらいたがっている。
・・・・・・げー。
しかし、だからこそ、売れないフォーク・シンガーよりも、臨床心理士にこそ、ビジネス・チャンスがあるわけだ♪

>カネが鬱病を治す特効薬ではないのか?

■ってのは、上記の「共犯精神史観」を応用すれば、
権力を相対化できる数少ない革命細胞は、カネかね?
ってことなんだけど、まぁ、それだけを抽出すれば、
士農工商の崩壊の構図など&などを思い出すまでもなく、「当たり前な話」だよね。だからこそ、さらに「共犯精神史観」は正しい、と、堅牢化できるわけだ(笑)♪

>「人間諸活動における生産性の低下」とゆー見え方をする我が鬱病を、生産性至上主義な高度資本主義社会はいったい・どのよーに・落ち着かせよーとするのか?しかもその発生基盤が当該社会の存立基盤と同根であるとしたら?

■2009年10月の北海道は、新型インフルエンザの大ブームで、
我が家のお子様達も、「学校閉鎖」、しかし「外で遊んではダメー」、「宿題は少ない」の、(親から見た)三重苦だったわけだ。
が、意外や意外、お子様達は家で遊んでる。
こりゃ、合法的ひきこもり、かっ。もしくは、許可制ひきこもり?
■ギロちゃんの疑問の前提は、<鬱=非生産的>なんだけど、
ひきこもりがジャパン・クール(げー。)産業を下支えした(←ほんとか・笑?)よーに、
鬱が新しい産業形態を沿創出すればいいだけのことである。
そこでとっても♪参考になるのが、ギロちゃんがわざ&わざ抽出してくれた鬱センパイたちである。
彼らの功績が、そのまま、鬱産業(!)のヒントだぜ♪

お名前
鬱の症状
鬱産業のヒント♪
図らずもローマ皇帝になっちまったヘリオガバルス孤独をまぎらわす(?)バイ・セクシャル。性風俗産業。
望まないのに国王になっちゃったルイ16世でも革命派でも、誰の言うことも聞いてしまう。クレーム処理。
徳川ヨシノビータがんこなくせに、優柔不断で、最後にゃ逃げちゃう。夜逃げ屋。
ヒョータンから困ったちゃんの長妻功労賞真面目すぎて、なんでも一人で抱え込む。図書館司書。


>生産性の追及?には余念がない。こーゆー精神状態も多分「病気」なんだろーと希望する(爆)

■そーか!
「病気」になりたい。=「社会」に認められたい。
ってことか!
「病気」になりたい、って、名付けられたいってことだからね。

>んであるが、社会はなかなかそーとは認めてくれないんである。不公平だろっ!

■それには、「収入」とゆー「お薬」が与えられてるんとちゃうの(笑)?

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Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" Four Sticks Oh, Mr. 外笑, the river's red, Oh, Baby, in my head
>座右の銘

■それも、言葉。



1846 Reply ただただ 野生・・・ 思うまま 生きろ・・・  外笑 2009/11/03 00:29

 思うままにやれ・・・これ、浦沢先生が座右の銘にしとるとかで、確かボブディラン
 の、歌の一節らしいが。ユーチューブのインタビューで言ってた。

破廉恥な野生の心がギターのネックを掴むのでなく、本や芸術鑑賞に向う久保の
コメントは、ある面で説得力があり尊敬に値するが、違う面では、まるで説得力が無い^^
本能おもむくまま生活し、破廉恥な指はいつもギターネックを掴む・・そういう相方
がいるのだけれど、それとはだいぶ違う。楽器や歌を生活の一部として望まれなくても人前に提供する欲求がある人に君のコメントは よく解らない って言いたくなる輩もいる。   当たり前か

あのバンドで狭いロックの領域に迷い込んだアタシは、もうそこで 共犯の意義
を失った。その結果から、しばらくはバンドによる創作における可能性ってえもの
の追求に疲れたんでしょうな。僕から観たらメンバーも、かなり狭い領域に
身を隠していると感じたし、本人達はどういう本音があったか解らんけど。もう音楽自体やることに興味が無くなりキヨ坊のように薄く浅く色々やってた時期もあった。最近、聞いた話で新鮮だったんだけど、久保の持ってくる
曲が全然いいと思えなくて、そこをどう変えていくかで創作意欲を燃焼させたタロウさん
の才能の大きさを改めて感じた。

大儀で言えば、資本主義社会が共犯関係であるとすると、結局 依存、共存
ということかな。崇高なる芸術家やセレブや君と違い私はかなり社会に犯されて
いる自覚はありますよ。元々 大きな基盤や家があるような 華麗なる一族
がごとし、社会に置かれている方々ではないですからねえ。
音楽バンドも、たかが共犯関係だとすると これ気持ち悪くて やってられないすなあ
 
 言葉に出すまでもなく野生なんですよ! 

誰もあてにするな、思うまま言え 思うままやれ!

 これ 座右の銘にしよっかな。






1845 Reply 上から目線の鬱談義♪ ギロでございます 2009/11/02 22:56

きゃぁぁ・さぶい〜北国の米穀店主は今夜もアブラ売りに余念あるまい〜♪■昨日は久しぶりに入れた感激で足跡だけ残して下のほう読むの忘れちゃったわ。今夜もまた入れたってことはわたしのウイルスソフトもこの板をはじかなくなった・のか・この板もそれほどバッチィ板じゃなくなった・のか・のどちらかよね〜それとも久しくわたしが書き込んでなかったんでソフトが・はじかかなくなった・だけ(笑)?■しかし長年のブランクは大きい。ついていけぬ。浦島新之助な心境である。ま・相変わらずのメンバー様方とは別の板でも店でもスタジオでもメールでも時たまご一緒であるからには大勢についていく必要もそうないのであるが下の鬱談義、チョイト面白い。鬱病を病気と見なす社会のほうに興味がある・なんざ、まーったくわたしの関心事の範疇、さすが新聞社主様とギロちゃんは見えない糸でつながっているんだわ。とりあえずパックリ・とっかかりとしちゃそのヘンから〜■まず、わたくしも個体個人の心の病?である「鬱病」と、社会がそれを取り上げて扱う際に派生する「鬱病病」とでも呼ぶべき現象とを峻厳に区別すべき、と考える者なんす。前者はとりあえず置いとくとして、後者ってのは社会学なアプローチが考えられるべきもん、すなわちチャチャ入れやすい。60年代後半には「造反病」とかが流行ったし80年代中半には「消費熱病」が流行ったし、という意味で現在「鬱病病」が流行っている、というふうに考えてみる。ま、衣食住満ち足りてココロの問題が脚光を浴びてる、という言い方も出来るが、この言い方には多少の歴史認識も必要ではありますな〜■一方、個体個人の鬱病ってえのは、これ、原因は人様々でありましょうが、症状の見え方として「世間」さまから言いうることは気の滞り・か・なるほど。わたし的に言い換えると「人間諸活動における生産性の低下」というもんである。鬱病患者が鬱病状態のまま猛然と仕事に取り組んでタイ米じゃなかった大枚を稼いだ・なんて話は聞いたことがない(笑)たいていの鬱状態てぇのは「仕事したくない」「会社に行きたくない」「生きていたくない」わけで、一方、高度先進資本主義社会はとかく人間に生産性の維持向上を求める。「働いて→稼いで→モノを買う」てのが人間諸活動の正常状態である・と見なしているのが高度資本主義社会・だとすれば、鬱病患者てえのはこの社会において、確かに異常状態にあるわけですね、ははん♪なるほど■ただそれだけのことで「病気」呼ばわりするんじゃ医者はいらん。てか・コトはそこで「生き方」「人生論」とか人間的な諸価値とは?あるべき社会とは?・てな社会学〜人生哲学的な問題になってくるから、医者も稼げば社会学者も評論家も百家争鳴、こぞって好き勝手に書く→稼いで→モノを買う・あらら、ご立派なこと!「鬱病病」はここらに発生する。「水虫」が社会化しないのとは大違いだ■さて、鬱病なる名前はいざしらず、精神疾患が発明・定義づけされたのはせいぜいここ150年くらいなもんだけど、それ以前にだっておそらく、人間精神において鬱状態てぇのは果てしなくあったのだ。図らずもローマ皇帝になっちまったヘリオガバルス君とか、望まないのに国王になっちゃったルイ16世とか徳川ヨシノビータ君たちはきっと、ヒョータンから困ったちゃんの長妻功労賞と同様、動揺を来たしたろうと推測するに余りある。ま・連中は権力者であったからには好き勝手・したい放題しても良かったんでしょーが、期待されたポジションに本意ならずも就いちゃってるという違和感感覚、このへん、いかにも心の抑鬱状態が忍び寄る〜メランコリですな。ならば卑近に言わんや・結婚して所帯持ちになっちゃったとか、昇進して部長になっちゃったとか・おや。社会・周囲の期待に押しつぶされそうなちっちゃな胸のうち。期待に副えない自分がフガいなく・・■だから・鬱な人には「頑張れ」とか「君がいないと困る」とか「君だけの人生じゃないんだから」とか囁くと・更に潰れる・ってわけですな。と・ここまでは当たり前な話。今後も当たり前な話がつづきます■で、かつては権力者以外の人間て、社会からあんまり期待されてなかったんじゃないの?ってフシもある。16世紀のスペイン、片田舎の農民たちが鬱病になった・とは、あまり聞かない(笑)なぜなら連中は期待されていなかったのだ(爆)あるいは、期待されている・とゆー自覚がなかったのだ。そこは片田舎の米穀店主と似たような境遇といふべきか(笑←ワタシは大いに期待していることの表れよ♪)無論、悩みがなかった・とは言わない、なぜなら悩みは欲や希望、逆境・社会的抑圧からも生まれるから。しかし社会病理としての鬱を患う危険性は彼らに少なかった■つまるところ「自分なんて無である」とさえしっかり理解していれば鬱病なんぞは回避できる・可能性がある。身の丈にあわない期待感だの責任だの、あるいは自分自身に対する過度なる期待や矜持だのを背負い込んでしまうから・潰れる〜なんてことは、江戸時代のドン百姓たちは考えるヒマもテマもかけなかった。社会構造として身分が確定されており、人権なんて聞いたことも食べたこともないアフリカ黒人奴隷たちのように日夜、安定的奴隷身分に安住することは大切である■これを割り切りという■「はいっ、ボクは女王様の奴隷ですっ!」と網タイツなおみ足に熱烈接吻を繰り返す会社重役・って図はチンプだけれどもあながち・理解できないわけではない。身の丈に縄ない期待感じゃ寂しすぎる!(爆)近現代社会は、人類は皆平等だの、努力と才覚で金儲けだの、更には一歩先んじて・ドロップアウトするの自由・だのといった混乱状態のうえに成り立っている。個体を束ねる神もアラー以外にいない、自己・自己・自己な群雄割拠。とすればそうした混乱状態のどこかに必ずや位置するであろー人々は気が気でない。網タイツな美脚が必要である■ま、場合によると美尻かもしれんが■ともあれ個体の問題てのは人様々・であるから、総じて個体の問題に親身に付き合ってくれる医者だのカウンセラーだのの出番は重要。だが彼らにしても限界がある。なかには社会復帰プログラムも組んでくれるトコもあるから一概にバカには出来んが、概して医者なんかクスリくれるだけ、カウンセラーはハナシ聞いてくれるだけ。わたしは・ひょっとしたら奇特な大富豪の秀逸な役割・というのも、鬱病撲滅には必要ではないか?→すなわち、カネが鬱病を治す特効薬ではないのか?と考えるフシもないわけではない■なんとなれば、明らかに鬱病な人は、なまけ病に見える。生産性の維持向上が正常状態であるこの社会において、遊んで暮らしてるんじゃ・いいご身分だよな〜とはいえ・大方な患者が自分に課せられた期待に潰れ、社会の正常状態に耐えられなくなって「生きていたくない」のであれば、そいつを「直す」かどうかは別としてとりあえず「生かす」には、取り急ぎ余計な期待を取り除き、おのが人生を満喫できるような休暇を与えることだ。それにはカネが必要である。この二億円、あんたにあげるから、好きにして良い、足りなくなったらまたおいで!といえば、大方の鬱病は治っちゃうんじゃないか?この壮大な社会的実験はぜひ、わたくしにおいてまず生体実験していただきたい■無論、大富豪は鬱状態と無縁か・というと、そーではない。大富豪こそ衣食住コト足りて、あとはココロの問題と向き合わなければならない場面はビンボー平民よりも・多いだろー・とわたしは希望する・例えヒフの一部が白くなったって構わないぢゃないか、君には君というウツワを知る才覚が必要だったのさ■それはともかく、わたしの身の回りに多数いるウッチャンたちは概してビンボー平民たちだが、彼らに不思議と共通しているのは、生い立ちの不幸とか孤軍奮闘とか、あるいは周囲の甘やかし・てな状況が散見される・ということだ。属人的な前者系事柄は置いとくとして、ことに最後の「周囲の甘やかし」てのは、例えば鬱状態になった社員に対する大企業の態度・というものに大いに顕著である。休職とか有給とか、安易に認める。病気→サボリじゃないから、給料を出す。となれば資本主義体制を打倒するのに革命イデオロギーは不要だ、みんな鬱病になれば良い、企業は倒産し税収はあがらず国家は破綻する■いや、そうではなく、そこにも「鬱病病」があるんである。医者やカウンセラーが「こういう女王様がいらっしゃるんですが、ひとつ、お試しになりますか」と言わない・のは・彼らが風俗店斡旋紹介業じゃないらしいからイカンともし難い・のだが・それもともかく、大企業が安易に有給を出すとゆーのは「鬱病病」のひとつの症状、なんとなれば現在、鬱病患者はどうにも社会的弱者と似たような扱いをされている。原因を作ったのが過労と認定されてるんならハナシは別だが、どうも大企業は鬱病社員に対しておっかなびっくり、扱いに手をこまねいて「死なれたらしたらマズイしな」てな自己保身が先立って・だから有給休暇だの休職措置だのをすぐにバンバン出す。そもそも利潤追求の経済活動をすべき企業が社員のココロの問題にまで対処するたぁ、企業社会てぇのも行き届いたモンだ。とゆーか、これは社員が鬱になっても我が社に打つ手はあるから大丈夫→だから鬱になるまで働かせてもヨシ・てな企業論理と見なすべきなのであろうか?であるならば・でなくても、むしろ鬱病患者が「立派な病気」であることは企業にとって「心地よい」のだ、これがもしも意図的なサボリだったりしたら、おおお親分!テェーへんだ!■「なんだい、ハチ?」「なら・ツライのは自営業とか、中小零細企業ですなぁ」「鬱に限らずツライもんさ」■しかしココロの問題とはいったものの、いずれノー科学によって解明されちゃうかもしれんし、現在、その研究は盛んだ。分からん事象についてノー科学による解明を期待する趨勢。ここにも「鬱病病」な傾向があるのかもしれんが、わたしにはまだよくわからん■えてして現代人はなんらかのカタチで鬱病にならずんば現代人たりえない・とゆー考えはわたしにとって親しい。アンデスの羊飼いとかモンゴルのヤギ使いとか北海道の蛇使いでさえ資本の論理から逃れられない・とすれば、多分、彼らもまたなんらかの資本主義的生産様式のなかで期待を背負わされているのであろ〜かどうか・は知らんけど、そもそも・ないし・もそもそ、人間のココロのメカニズムとして「なりたい自分」「なってほしいと期待されてる自分」「ただの自分」とのギャップとゆーのは羊飼いだって蛇使いだって、持っているのであろ〜そのギャップに深く悩んで折れてしまったら、正当なる鬱状態と言えよー・とゆーことは鬱病の基盤はこれら三位一体のギャップにおいてこそ見出されよう■で、このギャップを埋める?方向に、あいにく社会は構造転換しない。なぜなら、このギャップはまた「生産性の向上」→「消費購買意欲かきたて」の原動力でもあるからだ。これらのギャップの解消は、甲斐性を否定してしまうんである。「なりたい自分」が「いつかはクラウン」を目指す。「なってほしい期待」を醸し出すのが「おいしい生活」であった。「ただの自分」は常に、追いつかねばならないたぁ、親分、もーシンドイっすね!■なら、頑張らない生き方でしょ?■ここにおいてもまた「鬱病病」が蔓延している。勝間・リカ論争なんかまーさーしーく・三位一体をイジイジ・いじくり回す→金儲け→モノを買う・な、論理としてはまこと正鵠を射た評論家魂のお仕事として興味深い。ココロは自分だけのモノではない、いや自分だけのモノである余地はきわめて限定的なんであるが、いくらなんでも勝間なんかに掻き回されたくはないよなぁ(笑)マジに読んでるヤツぁバカじゃないのぉ?■ところがアナがち・ウがち・そうとも言い切れないから始末に悪い。君にとって勝間和代が網タイツな女王様ではないと、いったい誰が言えようか?リカちゃんが白衣の女医である可能性は・商売柄・勝間よりも高い■ともあれ、そういや同性愛者・なんてーのも長らく不憫な扱いを受けてきたが、今じゃ同性婚を認める「進んだ国家」がそこ・かしこ。性転換もどうにか認知されてきた今日この頃、人類が抱えてきたこれらココロの諸問題に比べれば、鬱病というのは幸先のいいスタートを切ったもんである。すでにカネと休暇が約束されているんじゃ、二億円まであともうチョイか←なんだ、カネが欲しいだけだったのか(笑)■ま・性に関わる問題は概して宗教的抑圧だの男女不平等問題だのに起因するものであればこそ、政治化しやすく、よって権利だのナンだのとホザきやすく、だから議会マター・法律マターとして社会秩序の一角にすぐさま追いやられるじゃなかった落ち着かせることは可能だ。だがしかし「人間諸活動における生産性の低下」とゆー見え方をする我が鬱病を、生産性至上主義な高度資本主義社会はいったい・どのよーに・落ち着かせよーとするのか?しかもその発生基盤が当該社会の存立基盤と同根であるとしたら?■その試行錯誤に「鬱病病」は見出される■ところで、わたしは依然としてワーカホリホルホレホレの算段活用・アレとしなくちゃコレもやりたい・な毎日なんであるが、資本主義社会に貢献してるか否かはさておき(笑)生産性の追及?には余念がない。こーゆー精神状態も多分「病気」なんだろーと希望する(爆)んであるが、社会はなかなかそーとは認めてくれないんである。不公平だろっ!




1844 Reply みらーくる♪くるくる・・・・ ブラウザが記憶してない!ギロでございます 2009/11/01 23:12

すげー奇跡的に入れた!
やー・こりゃオドロキだわ♪ちうか、ま、とーぜんなのよね。
今、わたくしのパソコンはマルハダカなんす、ウィルスソフトはいっトラトラトラん♪
リカバリーしたんす。すぐに入れるけど。あ、今にも共犯ウイルスが入ってきそーじゃ。
退散退散〜あ。そーそー、ギロちゃん絵本、贈りましたよん♪
そのうちゆくーり来ますわ〜まずはノートン先生とバスターの相性試してからね。
つもるハナシはその時に。でわ〜ばいちゃ!




1843 Reply うたかたの依存と共存の泡 久保AB-ST元宏 URL 2009/11/01 20:29

The truth will come to you at last
When all are one and one is all To be a rock and not to roll
And Mr.外笑's buying a Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" stairway to heaven
>依存が頭に出てくると

■1985〜1990年の5年間が私のサラリーマン時代なんだけど、
その時、上司に言われて、びっくりして、やがて、すごーく嬉しくなった言葉が、
「久保ちゃんは、頼りになるなぁ〜!」とゆー聞こえるように言われた独り言だった。
生涯一文科系(がくっ。)の私にとっては、これはかな〜り新鮮な褒め言葉だった。
自分よりも実力も経験も収入もある人物から、「頼れる」と言われる(=つまりは、「思われる」ことのアピールなんだけど。)ことは、
体育会系だけの言葉だと、いつの間にか私は処理していた、ってことだと思う。
■「びっくりして、やがて、すごーく嬉しくなった」私は、やがて、そう感じた理由を考えるようになった。
大雑把に言えば、それは、「認められる」とゆーことなだけど、
つまりは、組織の堅牢な一部分に成り得た、とゆー事実をプライドとして自然に受け入れる呪いだったわけだ。
■このパターンのバリエーションは、特に旧来型の男社会にはいたるところに存在している。
たとえば、「感謝」とゆー言葉が、複雑な罪さえも美しいもののとして単純化する浄化作用を持っている現場に私は何度立ち会ってしまったことか。
■なぜ旧来型の男性社会にそれが多いのかとゆーと、そこは不安(=流動性)が渦巻く現場(=ナルシストは、「戦場」とか言っちゃったりもする。)だからなんだろーな。
そんなとき、「依存」は安定した基本料金の自動引き落とし入金が可能な、やさしいシステムとして、俺たちのベッドになってくれるけど。

>依存関係と共存関係って、ほぼ同じに見えて

■実はそれらって、単なる「支配関係」なだけだったりすることも、実は多い。
■「(肉体)労働」などに対して、「投機」のいかがわしさ(?)はよく言われるんだろーけれど、実はあらゆるすべてのものは「投機」なんだよね。
それが、遅延化されたり、複合化されたりしているだけで。
資本主義とゆーものが、あたかもあるように感じちゃうのは、それがベースなんだからだと私は薄々思ってる(笑)。
なぜみんながそこに気がつかないかは、そこを語るときに、本質論と根性論がスパイラルになってしまう巨大なトリックによって、だよね。
だから、ヤミ米屋が21世紀型の思想家になるのは、ごくごく自然なこと。
■で、その「思想」や「投機」に対峙するためには、いろんなところに筋肉が必要、だってことなんだけれど、筋肉が無い人にも公平でなければならないしねぇー。
雇用という役割分担のシステムがそれなのかな。
農業って、その概念に気がつかないままに多様な時代を変遷しすぎたから、課題の保留も多いんだろうな。
そんなときに必要なのが、実は「社会」とゆー概念なんだけれど、
現代は「社会」を「公共」と置き換えて(→「摩り替えて」?)処理されようとするから、またしても、利権とかが生れてギロ男爵のお小遣いが増えるんだよね♪
■それらを理論化できる前の四半世紀前の私は、「依存関係と共存関係」に対して、「共犯関係」と名づけてみたもの。

>自分の中の、いくつもの人格や個性同士が

■それは私が月見猫へのレスで、「人間は(≒も)、野生だ」と書いたことのほうが先、だよ。
つまり、「いくつもの人格や個性」が「自分の中」にあると感じてしまうことは、もうすでに、君が「社会」に犯されているとゆーことだ。
人間は、ただ、ただ、ひたすらに野生なだけで、その内部にあるかのように見える「いくつもの人格や個性」は、
野生の自分に安心できない自分が勝手に「社会」の中の既製品の「人格や個性」をつまみ出しては
自分の中の野生を微分して当てはめ自己カテゴライズしちゃっただけの幻想こと。

>久保が書いた あずみさんのコメントもなかなか興味深い

■ギターもまともに弾けない私がえらそーに書いた、ほぼ処女作の「ギター演奏論」でした(笑)。
引き続き、ドラムがまともに叩けるテラダヤが「ムッシュかまやつ」ライブ評で書いた沼澤尚のドラム観察と合わせれば、世のプレイヤーたちに役に立つであろう(笑)。

>文法や順番や規則や一般的な恋愛や依存や共存や

■とは言っても、あのバンドの中では君が一番、パターン化されたロックの狭い枠の中にいたけどね。

>40代後半の良識ある大人には、あえてまた一線を越す

■愛人の部屋で自分の裸の尻を愛人の顔に擦り付けるよーな「あそび」を47歳になってするとは思わなかった、とかゆーよーなこと?

>本当の表現

■昨夜からの雪がたぶん今シーズンの初雪なんだろーけれど、
この雪のおかげで、せっかくの日曜日&「映画の日(=毎月1日は、\1000♪)」が夏タイヤのまんまのミーのカーのため、がくっ。
そんなんだから、北から雪道を越えて届く米の入庫待ちをしながら、ぼけーーーっと呆けてテレビを観ていた今日の私だ。
すると、加藤和彦の追悼番組とかで、NHK−BS2が2002年のザ・フォーク・クルセダーズの再結成&解散コンサートを再放送していた。
まぁ、さすがに、ふむ&ふむの連続なんだけど、
あああ。と、思ってしまったのは、
加藤和彦のソロのコーナーで歌った曲の最後のリフレインが、
「鬱がいい。」
だったから。
「鬱がいい。」と繰り返して曲が終わる加藤のパフォーマンスを見てしまうと、むむむ☆なのだが、
もちろん(?)これはボリス・ヴィアンの名曲「拝啓大統領殿」(作詞&作曲;ボリス・ヴィアン、日本語詞;高石ともや)で、
こんな歌詞だ。
Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" 拝啓大統領殿
作詞・作曲 ボリス・ヴィアン
日本語詞 高石ともや


 大統領殿 おひまがあれば
 読んでくれるだろう この手紙を
 僕は今 戦場へ行く
 徴兵カードを もらったところ
  僕は逃げる 戦いたくない
  あわれな人を 殺したくない
 大統領殿 腹を立てないで
 聞いてほしい 僕は逃げる

 親父は昔 戦争で死んで
 子どもたちは 泣きじゃくってた
 女手一つ 苦労していた
 お袋も今は お墓の中
  爆弾を もてあそび
  ぼくの心を 奪っていった
 旅に出よう 明日の朝にも
 僕の住み慣れた 家を後に

 世界中 すべての兄弟に
 僕は言おう 言って歩こう
 人生を 大切になさい
 僕らはみんな 兄弟だ
  血を流すなら あなたの血を
  猫かぶりの 偉い方々
 僕は逃げる 武器は持っていない
 憲兵たちよ 撃つがいい
 憲兵たちよ 撃つがいい



1842 Reply 依存と共存・・・その意味の大きな違いは  外笑 2009/10/28 21:30

   んんんんん・・・僕の身近な例から言うと、やっぱりバンドなんだけど、
まあ 友人関係や得意先関係としてもいいかな。依存が頭に出てくると、
なんつーか、やはり弱い んじゃないかな。
 ある物語や状況からすれば、依存関係と共存関係って、ほぼ同じに見えて
くることもあるよし。いずれも、インパクトや個性を殺しかねないって思う。
御互いを許しあうってのも大事かもしれんし、ぶつかり合わないと進展しないこと
もあるよな。

前例に戻るけど、バンド内の関係が依存でも共存でもなく、
音楽を作り出せたら・・・それが最高なんだろうな。

自分の中の、いくつもの人格や個性同士が
、しのぎを削って作り出す孤独の創作
ってやつを  基本にしたほうがいいな。うん そう思う。
そう思えるようになったな。
 久保が書いた あずみさんのコメントもなかなか興味深い

自分の多重人格の排出は、表現。
  
  本当の表現 → 文法や順番や規則や一般的な恋愛や依存や共存や
       言葉(・・?^)や理屈からは
       生まれない。
        その他の表現らしい表現は実にインパクトがない。
       40代後半の良識ある大人には、あえてまた一線を越す
       気持ちが無ければ
       
        本当の表現をすることができないんじゃないか・・・







1841 Reply 割れた書物の中から、俺を探し出すんだ、雑音なしの俺を。 裸になった俺の俺を。 久保AB-ST元宏 URL 2009/10/28 02:12

Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" The Battle of Evermore Queen of light took her bow
And then Mr.外笑 turned to go, The prince of peace embraced the gloom
And walked the night alone
Oh, dance in the dark of night, Sing to the morn - ing light
>別れ際にテラからは、・・最近あんた社交的になったな、坂田にメールで知らせておくよ!と言われた。まあ、当然のことだと思った。

■1985年初頭、第3福葉荘でのミーティングに来ない飯島が書いたごたくを私がみんなの前でさっと読んでから、
「くだらねぇ。」と破ってゴミ箱にまるめて捨てたことを、けっこーその場にいた他の3人って憶えているもんなんだね。

>僕は 自閉と自分解放

■昨夜、現象学のことを考えていたら、
福岡伸一の『動的平衡』って、なぁ〜んだ、現象学じゃん。別に新しいことじゃないのね、って思った。
まぁ、そう考えれば、農業って、現象学だし、「商業=ショーバイ」も現象学。
愛も、天気も、か(笑)。
てか、現象学って、「対称性」のアンチ・テーゼ、か?
より正確に言えば、メタ・アンチ・テーゼ、か。
それって、いにしえのアナ・ボル論争みたいだな。つーか、モロそーじゃん(笑)。

>視点を一時的にでも合わせられれば、彼の苦悩も見えてくる。

■しかし、たいして興味が沸くほどの「彼」って、いかほどいるものか。

>相互理解 という名の 作られた塔

■なるほど。それが、「対称性」ってことだね♪
さらに「作られた塔」より正確(?)に言えば、「対称性」って「作られたツイン・タワー」、か。

>どんなときにも  孤独が味方          だ。

■金原ひとみの最新小説『憂鬱たち』の、田中弥生による書評が10月25日(日)の日本経済新聞に載ってた。
書評によれば、この小説は「基本の筋が、設定と細部を変えて7回繰り返される」「トリオが演じる7つの傑作コント集と言える」んだそーだけど、
やっぱ、『蛇にピアス』の、「自虐と優美、猥雑と繊細を合わせ持つ当代随一のハイブリッド作家ならではの、この文の快楽が一番の読みどころ」らしい。
で、登場人物の「トリオ」とは、「主人公は死ぬしかないような憂鬱を抱える若い女「神田憂」」「中年男性カイズさん」「その絡みを少し離れた場所から眺める若い男ウツイくん」
このネーミングだけで、この小説は鬱がテーマだと分かる(?)んだけど、
この書評は、鬱は、「果たしてそれは治療されるべきなのか。」と問う。
■こんな感じで日曜日の日本経済新聞の書評欄はおもしろいんだけど、10月18日(日)は内田樹が連載「半歩遅れの読書術」で、
ちょー懐かしい岸田秀『ものぐさ精神分析』を取り上げていた。
ご存知のようにこの本は岸田の1977年の処女作で、私も当時、熱心に読んだものだ。
もちろん(?)あの第3福葉荘の本棚にもあったから、君も背表紙ぐらいは眼にしていたかもしれない。
当時の岸田は和光大学人文学部教授で、「和光大学人文学部」と言えばジャックスの早川義夫の出身校&学部っーだけで若い私は盛り上がれたもの(笑)。
それに、この処女作の腰巻は、なんと澁澤龍彦が書いている。その後の岸田の、ややミーハーな(?)展開からすれば、かなり恵まれた腰巻だー。
しかし、この処女作の輝きは今も普遍で、それを証明するかのよーに、またしても今ごろ(?)内田樹が取り上げたりしてんのだろーな。
私が買った当時に線を引いた部分をいくつか下記に書き抜きしてみよう。

「職業的ストリッパーの明らかに仕組まれたヌードの誇示よりも、
ふとした機会にちらりと見えた、上流階級の美しい若い娘、すなわちわれわれの世界の上位の一員のヌードのほうが
はるかにエロティックであるのと同じ理由から、われわれは、別世界の人ではなくわれわれの世界の一員で、
かつ自分より上の社会的地位と名誉をもつ者が隠しもっている穢れたものを暴き出すことに異常な興奮を覚える

「天皇が人間宣言をしても天皇制の問題が解決しなかったのと同じ」

歴史の示す通り、人類は戦争が大好きで、ときにはこのような日常的価値の逆転を必要としたのである。

個人の人格発達の過程は弁証法的経過を辿る」

「無能の自己と全能の自己とが葛藤する」

なんだか切が無いので、最後に内田樹の書評から、岸田の考えの抜書きをして、この一連のお茶のみ「鬱」談義の参考にしておきたい。

まず集団心理が存在し、人の心理はそれを内面化したものにすぎない」

「ほとんどそのままのかたちで国家レベルでも再演される
個人が病むように国家も病む。
個人が狂うように、国家も狂う。」

葛藤を解決するために、日本人はあえて分裂を病むというソリューションを採択した。」

人格分裂によって現に植民地化をまぬかれたという成功体験ゆえに、
日本人はその人格にぬぐいがたい亀裂と傷痕をきざみこむことになった。」

「四半世紀を経ても、岸田の唯幻論は少しも色あせていない。
外的自己と内的自己をどう一つの人格に統合するかという国民的宿題に答えを出した人はまだいないからである。」



1840 Reply 苦労と面目と言い分と自閉度とワガママと体制と表現とエトセトラ・・・  外笑 2009/10/25 20:18

  先日 私は めずらしくも テラのライブに、いそいそと国立まで足を運んでみた。
 別れ際にテラからは、・・最近あんた社交的になったな、坂田にメールで知らせておくよ!と言われた。まあ、当然のことだと思った。昔、僕は 自閉と自分解放を日常の中で
繰り返し行うことができた。それはアブノーマルストリッパーと共にいたからである。
 そこは ある意味では狂気すれすれの次元だったのかもしれない。逆に考えれば、それによって、経験しえなかったこともままあるだろうし、当時の環境に安住したために、勉強不足だったり怠惰だったり、社会性や対人面を含め精神的な欠落部分も相当あったに違いない。
 そう、僕の自閉度は高かった。解放は音楽とライブという対面でのみ敢行されていた。
それで生きていられた。

 友人に鬱の患者がいたが、そいつを見ていて、甘えてんじゃないかって思える時もあった。しかし、彼と僕は同じであるはずがない。視点を一時的にでも合わせられれば、彼の苦悩も見えてくる。

  相互理解 という名の 作られた塔 の向こう側を見るのは 非常に困難だ。

  どんなときにも  孤独が味方          だ。




 



1839 Reply 一羽のカナリアは「病気」だが、千羽のカナリアは「革命」だ。 久保AB-ST元宏 URL 2009/10/24 01:48

It's been a long time since Ms.月見猫 今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。rock and rolled
It's been a long time since I did the Stroll
Ooh, let me get it back, let me get it back, let me get it back
mm-baby, where I come from
It's been a long time, been a long time
Been a long lonely, lonely, lonely, lonely, lonely time
Yes, it has
>あなたのその状態を「病気」だって言ってもらうことで

■私の視点はそこには無くて、
人間は(≒も)、野生だ
ってこと。
■つまり、あらゆる人が仲良くしていたり、「国民的に統一」していたり、ひとつのルールでまとまっている情況のほうが異常だ、ってこと。
「鬱」で苦しんでいる人は、確かに辛いだろう。
でも、それは違和感の表面化なのだから、むしろ野生動物としては自然なことだと思う。
それを「病気」と名づけることで、社会に順応しないことは「病気」だと処理して思考を停止してしまう「社会」のほうに私は興味を持つ。
むしろ「鬱」が「病気」なんじゃなくて、鬱を生んでしまう「社会」が「病気」なんじゃねーのか?・・・エトセトラ、エトセトラ・・・。
って、こと。

>気を病む状態

■あー確かに、「気を病む」って、日常会話で使うよね(笑)。
今ではちょっと高齢者ぎみの人が使う言葉になっちゃってるよーだから、50年後には死語かもしれないけれど。
こーゆー言葉は、外国語に置き換えてみると、意味が裸で立ち上がってきたりするんだけど、
たとえば、こう。

そのことを気に病む必要はないよ. 事情を説明すれば彼女だって許してくれるはずだ.
There's no need to worry about it. If you explain the situation I'm sure she'll forgive you.

なんだ、「worry」か。単なる「心配」なんだね、「鬱」って(笑)。
・・・・・・単純すぎる?
前回、私が『共犯新聞』ゲストブックに書き込んだ10月21日は、ぎょろめ支配人の命日だったんだよ。



1837 Reply 落ち込む自由くらいあっていい 月見猫 2009/10/22 21:58

>「鬱」を「病気」の檻に閉じ込めて

↑うん。それ、すごく分かる。
でも、自殺してない人で「欝病カテゴリー」の人
或いはその周辺の人でもいいけど、
あなたのその状態を「病気」だって言ってもらうことで、
楽になるところ、あるんじゃないのかな?

つまりは、この苦しさは自分の原因じゃないよっていう感じの…。

あたしがお世話になってる中医学の先生は
欝を「欝病」でなく「欝症」ととらえ
何かが滞っている状態「鬱結している」のを総じて欝と呼んだ。
何が? 
「気」が滞ってる。

「元気」「正気」「気違い」…
日本人だって相変わらず気のつく言葉を多用してるのに
「気」って一言でいって
目に見えないそのイメージを国民的に統一することって
まだ出来ていない感じするね。
「まだ…できない」、じゃなくて、「もう…できない」なのかな?

そういう意味で言えば、気を病む状態なんて、
カテゴライズというよりは、なんか日常と地続きだ。



1836 Reply 「鬱」を「病気」の檻に閉じ込めて納得することで見えてくる「病気」。 久保AB-ST元宏 URL 2009/10/21 11:11

Hey, hey, 今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。Black dog, said the way you move
Gonna make you sweat, gonna make Mr. cocamellow groove
加藤和彦は「うつ病が原因で自殺した」

■それは、君が「じゃなきゃ悲しくてやり切れませんわ。。。」と吐露しているように、
死んだ本人以外の者が納得するためのツールだ。
「うつ病」が「原因」であるか、どーかよりも、「うつ」が「病気」であるとカテゴライズする(=したがる)「社会」のほうに私は興味を持つ。

>大きなお世話だけど、一面の記事は

加藤和彦が死んだら一番読みたかったのは、北山修の追悼文であるのは、彼らを知るものならみんなそうだろうが、
北山修は加藤和彦の追悼文を10月17日(土)の死体発見から2日後の10月19日(月)の朝日新聞と、
10月20日(火)の北海道新聞の夕刊(=これはたぶん、共同通信からの配信で、東京新聞などにも同じものが掲載されたのだろう。)に書いている。
北山は立場が立場だから、新聞側としてはコメントの収録でも良かったのだろうけれど、
ここできちんと自分で文章を書いたのは北山らしいな、と思う。しかも、短時間で複数、違う内容で書いているのにも、らしいな、と強く感じた。
北山の追悼文は、相変わらず、クールで、やや上から目線(笑)。
もちろん、誰よりも取り乱すことが許されるのは北山だけであるし、実際に誰よりも悲しみが深いのも北山であると思う。それなのに、であるから、彼らしい。
私が読んで印象的だったのは、
「バンド志向の優しいリベラリズム」という書き方。
これは私が『共犯新聞』に書いた追悼作文で書いていながらたどり着けなかったキメ・ゼリフだ。
まぁ、同じコトを書いたんだから、私も聴き手としては、いいところを捉えて聴いてきた(?)んだな。
私が書いた部分で言えば、ここあたり。

加藤は京都の龍谷大学に入学したが、東京から来たばかりの加藤には友人はおらず、音楽仲間の2歳年上の、はしだのりひこの下宿に入り浸っていたそうだ。
学生時代の友人がそのままフォーク・グループとなり、それがロック・バンドになる。
グループやバンドが解散するたびに結婚したのは、偶然ではないだろう。
加藤にとって歌手や作詞家との結婚はまた、孤独から遠い島としての新しいバンドだったのではないだろうか。
ともだちが欲しい小学生が友人にわずかなおこづかいで買ったおもちゃをあげるように、加藤は次から次へと曲を提供し続けた。
それがあまりにも素晴らしい曲ばかりだったから、まわりの者たちも本人自身も孤独であったことに気がつくのがずいぶん遅くなってしまったのか。
もし、そうだとしたら、
62歳でそれに気がつくって、どーゆーことなんだろう。
同じ年齢の鳩山 由紀夫(1947年2月11日生まれ。)が愛妻と手をつないで、華やかな総理大臣の生活を連日、テレビにさらしている日々だからこそ、その答えがほしい。

■あと、私がそこで書こうかと思いながら書かなかったのは、
孤独を表現する=孤独をバンドという「優しいリベラリズム」で「武装」する」=聴き手に届くように表現する=芸能=ポップ
とゆーこと。
まぁ、これは加藤に限らずなことなので、今回は加藤への追悼の色を濃くするためにあえて、書き加えなかったんでした〜。
■とにかく、誰からのオファーでもなく勝手気ままに加藤和彦が死んだことを書いた私の音叉の響きに震えてくれる君のような存在が遠くにでもいることが、まぁ、インターネットとゆー脱リベラル(?)なバンドなんだね。



1834 Reply 加藤和彦の自殺はほんとにショックですね。 cocamellow 2009/10/20 00:35

彼の自殺の直接の原因は「うつ病」だと思いますよ。
勿論病気になる重要な要素に「孤独」があると思いますが。
加藤和彦は「うつ病が原因で自殺した」という推論の方が
正しいと思いますよ。
大きなお世話だけど、一面の記事は彼がうつ病になった
要因の考察だと思うなぁ、、、
じゃなきゃ悲しくてやり切れませんわ。。。



1833 Reply 2つのコード 久保AB-ST元宏 URL 2009/09/23 14:48

Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" Hats off to (Roy) Harper
When I done quit hollerin' Mr.外笑, I believe I'll shake 'em on down♪
>そういう自分というちっぽけな意思

■この連Q、私は仕事をちょぼ&ちょぼ処理しつつ、
この夏に某センパイからいただいた段ボール箱5つの書籍=228冊を爆読しつつ、その228冊の全体像を体感していた。
それらは、1952年に出版された丸山真男『日本政治思想史研究』から、2006年の田中美代子『三島由紀夫 神の影法師』まで、
主に政治思想史を中心に、文芸評論とジャズ評論がからむ内容だ。
「蔵書」は、あらかじめ与える相手(=この場合は、私。)をイメージしてセレクションされるので、
与えられた228冊は、贈与の両極に立つ者の、与える者側からの重なるイメージでもある。
つまり、与える側が購入してきた書物によって自己紹介をし、与える本によって与える相手である私への批評を試みた、ということにもなる。
であるから、ずしり、と重い想い。
■228冊を私にくれたセンパイは、私よりもちょうど10歳上なのだが、
その年齢差が、10年前の本が並びやすい古本屋の書棚が教師だった私には、どん&ぴしゃりなのかもしれないようだ。
■今はここでいちいち、228冊を紹介はしないが、1950年代、1960年代、1970年代と書物を出版された順番に並べてみると、
よーやく、1980年に私がリアルタイムで買った本に「再会」した。
1980年=私、18歳。それまでの古典を文庫本で学習するように読む読書から、現実社会へのコミットメントの窓として読書を展開し始めたころだ。
センパイからいただいた「玉手箱」の中から再会したそれは、糸井重里『ペンギニストは眠らない』(笑)。
この本は東京の私のボロ・アパートの本棚にもあったから、当時、出入りしていたやつらは読んだよな。
そー言えば、初代マネージャーだった、えりちゃん&まよみちゃんにも貸したっけ(笑)。
■ちなみに、センパイからいただいた1980年刊行の書物は、下記の5冊。
内村剛介(1920年生れ)『ロシア無頼』
(1980.4.24初版、高木書房)
\1300→もらった
滝村隆一(1944年生れ)『唯物史観と国家理論』
(1980.5.15初版、三一書房)
\2500→もらった
糸井重里(1948年生れ)『ペンギニストは眠らない』
(1980.12.20→1987.4.5/6版、文化出版局)
\980→もらった
深沢七郎(1914年生れ)『みちのくの人形たち』
(1980.12.10初版、中央公論社)
\1800→もらった
栗本慎一郎(1941年生れ)『経済人類学』
(1980.12.31→1981.10.5/5版、青土社)
\1600→もらった

センパイからまとめていただいた書物に、内村剛介は約20冊におよび、滝村隆一も数冊におよんでいる。
現在ではこの両者の本は入手しずらいので、これだけでも、ありがたすぎる贈与だと感謝している。
ただ、センパイからいただいた書物群も、この1980年からぐるりと方向が変わっているようだ。
それは、センパイが「転んだ」のではなく、当時、28歳の若者が体感し、興味を向けた時代の変化だと思う。
上記の5冊で図式的に言えば、
<内村剛介&滝村隆一>なるものから、<糸井重里&栗本慎一郎>的なものへ。
だと思う。
もちろん、そんなダイナミックな「知」(?)の流動のさなかにあっても、深沢七郎の新作はきちんと押さえておく、とゆーのがまたセンパイの普遍的な文学青年のスタンスだ。
「思想」よりも「詩」が信頼置けるよりどころであるのは、ボードレールによりかかるゆがんだ才能と同じだ。
■もちろん蛇足だけど、私自身のためにも、少し、上記の著者たちについて触れておきたい。
まず、今回、私が驚いたのは滝村隆一が栗本慎一郎よりも若い、とゆー発見だ。
思想シーンへの登場の順番や、その話法からしても、圧倒的に逆だと思っていた。
それと、滝村隆一は1970年に法政大学社会学部応用経済学科を6年かけて卒業しているんだけど、
糸井重里も1年半で退学したとは言え、法政大学文学部日本文学科の学生だった。
法政大学時代、もしくはその周辺での2人の交流はあったのか?またはお互いをどう見ていたのか?興味があるところ〜。
滝村隆一は糸井も在学中の1967年に、吉本隆明主宰の不定期雑誌『試行』の21号に、「二重権力論」を発表して思想界にメジャー・デビュー(?)している。
昨今の糸井による吉本隆明へのラブリーなコミットには説明は不要だけれど、もともと「全共闘」世代の吉本の「弟子」(?)と言われた元祖は、糸井ではなくて、滝村だったとゆー「歴史」。
■しかし、残酷なことに今、滝村を知る者は少ない。
むしろ、滝村は、上の世代の栗本慎一郎(=コイズミ・ジュンイチローと、同級生!)に1980年にネーム・バリューでは簡単に追い抜かれた。
ただし、思想的強靭力で言えば滝村の復活のほうが、栗本よりも可能性が高いんじゃないのか、と私は思っている。
■残念ながら内村剛介は亡くなったが、滝村はまだ生きている。年齢も、若林博士や竜馬@ギャラリーどらーる翁の1942年生まれよりも、2歳若い。
何かやってくれたらいーんだけど。
むしろ今、私が読みたいのは、<滝村隆一&糸井重里>的なものだ。
■今年のお盆、札幌で再会したテラダヤが、
「東京時代の久保と言ったら、あのトタン屋根のボロ・アパートに夏に遊びに行くと、
半ズボンだけの裸で、部屋中に散りばめた新聞広告の裏の白いところに、ずーっと、ひたすら何かを書いていたよな。」
と、回想していたけれど、バンドって個人の集まりに過ぎないから楽しいんだろうな。



1832 Reply なんだよ こりゃ あんた写真収集家だな  外笑 2009/09/21 21:09

 僕は当時 アブスト内の関係としては言葉を失くし、ボーカルの時にしか
言葉へのニュアンス・強い気持ちを出していない。他のどうでもいい人間関係とか
バンド内の話し合いみたいなこともどうでもいい下らないことだった。
それは当時のテラの駄曲・僕は・・に対してだってそうだった。あの歌にさえ、未熟な俺
は全身全霊を投射した。テラの僕・じゃなく 俺の僕を探し当てようと歌った。
君らとはアブストのボーカリストとしてだけの付き合いしかしていない
と言っても過言じゃない。そのほかの連帯感などない。
そういう自分というちっぽけな意思なんて小さなことや日常のこともどうでもいい。
僕はアブストでボーカリストだっただけ。

 坂田に詫びる。こないだ初めて君の掲示板に入れたので書き込みしたんだが、
その後 馬でも青でも 何をしても君のページが見れなくなりました。
一応 そのことだけ詫びておく。では



1831 Reply 「かっこいい」の意味を、お・し・え・て・あ・げ・る。 久保AB-ST元宏 URL 2009/09/18 14:45

Led Zeppelin - Earl's Court (1975) - "Bron-Yr-Aur Stomp" Bron-Yr-Aur Stomp♪ I'll be singing a song♪
Hear me calling your name♪ Hear the wind within the trees♪
Telling mother nature bout Mr.外笑 and Ms.おっす、ひろみ嬢♪月見猫
外笑>これは限りなく悲しい歌ですよ。
月見猫>あたしが「かっこいい」と言っているのはそういうことなんだ。

■「定義」が違うだけで、両者が、この曲「フィクション・シネマ = フリクション・シアター」を愛してくれていることはよくわかった。
作者として(?)、ありがたいことだ。
そんな感じでニュースでパレスチナ問題を見たら「パレスチナの憤り」を想い出したり、
クリスマスになったら「核シェルターのメリー・クリスマス」を口ずさむ中小零細企業の社長や、主婦らが世界には3人ぐらいはいるんだろうな(笑)。
■ところで私が、すげーびっくりしたのは、飯島外笑のカキコミ。
あいつって、こんなに頭が良くて、センスが的確で、伝え方も上手だったのか?それとも、ひそかに(?笑)進化していたのか、と驚きながら感心しちゃった。
サカタが読んでも驚くだろうな。(←カンケーないけど、ついそう思っちゃったから書いておくけど。)
かつての外笑を知る者(?)は、
「現在進行形で、(しかも一時休んだ期間もあって)バンドをやってるから打ち返しの勘も冴えてて進化も続けているのかも知れないねー。」と、
その「成長(?大きなお世話、かっ。がくっ。)」の理由を分析するかもしれないけれど、
むしろ私は、今の外笑の社長業が彼の言葉=コミュニケーション能力を、とりあえず通常人並みにしたのかもしれないな。と、思った。
「とりあえず通常人並み」を、あなどるなかれ。
その結果、そいつが魅力的な言葉を語りだしたとしたら、そいつは元々、魅力的な「脳味噌」を持っていた、とゆーことなんだから。
私が1980年代前半に繰り返し言ってた、「脳味噌の解放は可能か?」ってのは、
覚せい剤によって、ではなくて、
「とりあえず通常人並み」の言葉=コミュニケーション能力によって、だった、って四半世紀後(!)の種明かし、かっ。

1983年だったかな?武蔵野美術大学の学園祭の野外ステージで演奏していたら、野蛮人たち(笑)が乱入してきて、楽しかったな♪

外笑>どことなくうらぶれている。
月見猫>それを行動に移すかどうかは別として。

■1986年(?)だったか、そのころに、あの裏切り者のギタリストが北へ消えたあとにメジャーから出たシングル・レコードの
宣伝チラシのコピーに、たしか・・・
「最近、影がない。世の中が明るくなりすぎている。こいつらは、暗い。影がある。」
みたいなこと、書いてなかった(笑)?
たぶん、これは君たちじゃなくてコピー・ライターたちのコピーだとは思うけれど、
私は、な〜るほど、それが「商品」になるならば、そんなに悪くも無いな、と、思いました(笑)。

1984年。目黒のライブハウス「キャット・シティ」。となりのライブハウス「鹿鳴館」では、裸のラリーズが爆音を鳴らしていたっけ。

外笑>他の女さんの、日替わりの不透明な感情には、あたふたさせられるし。勝手にしろって
月見猫>でも、その体温だけは確かなものだよなって感じてる

■男女関係が比喩じゃなくって、まっすぐ政治や社会にもあてはまる言葉(=「表現」)がある、ってことだよな。



1830 Reply Dear 外笑殿:「かっこいい」の定義 月見猫 2009/09/17 21:58

>とても悲しくて無力な歌詞です。かっこよくなんて有りません。

↑あの一節には、
その部分を聞いただけで、
「俺」の今の立ち位置も
心の中に渦巻いている毒々しい感情も
全部わかってしまう簡潔さがある。

そこへもってきてテレビ&テロと韻を踏んだ
たたみかけるようなフレーズが
聴く者の胸に突き刺さる棘として機能してる。

あたしが「かっこいい」と言っているのはそういうことなんだ。

テロ行為そのものがかっこいいと言っているのではないのよ。

ただ世界の矛盾に対して怒りを抱くという、
感情の波風が、起こらない若者なんて、
心が死んでるよ、とあたしは思う。

もし、反逆を企てる相手が、国家でなく
もっと個人的な付き合いの範疇とかなら、
あなたにだって覚えがあるだろう。
それを行動に移すかどうかは別として。

身体を重ね合わせていてさえ、分かり合えない男と女の視点など
「アバラヤと俺」であなた自身が詩にしていたことではないか。

あたしは当時、あの歌詞が、自分のことを言われているような
自らの幻想を打ち砕かれているような、苦い思いがあって
歌詞にまっすぐ向き合うことをしてこなかった。

「なんか訳分かんない」とか「シュール」とか
適当な言葉で片付けようとしていた。

でも、今なら分かるし、見据えられる。
てんで違う方向を見ながら、抱き合っている俺と君が
でも、その体温だけは確かなものだよなって感じてる
やりきれない気持ちとか。

次のリハで、あたしたちの「かっこいい」を重ねたい。




1829 Reply てろってかっこいい?!  外笑 2009/09/16 23:31

 フリクションシアター の1節で僕が要だと思っている歌詞は・・・

 僕の腕にも手錠をかけて、腕に喰い込む手錠は僕を、捕まえてくれる

ってとこだ。

 久保が詩を書き僕が歌うことにより 同時責任転嫁の共犯関係により

 この歌は実現した。リズムの絶妙さ 坂田と久保のコントラストが
最高にグルーブできている曲だ。歌は過激なようだが、凄く切ない。
いたたまれない心だ。完全に縛られている生だ。

 アブストの歌にカッコイイ歌なんてないんじゃないかな。
ビーマイベイビー!とか ドリーミング!とか 愛が全て!
とか歌った覚えが無いし(笑)。

 坂田やテラの曲だってそうだ。どことなくうらぶれている。
が、とてつもない輝きがある。

 ゴキゲンダンサー とか つながりたい あの辺は 赤裸々だよね。

 女房の機嫌直しに、さっきグミを買ってきてやったら少し治ったみたいだし、
他の女さんの、日替わりの不透明な感情には、あたふたさせられるし。勝手にしろって
感じよ。B型一家のオヤッさんには、時々やきもきさせられるし。
人間 解り合えること少ない。それが当たり前 なんだよね。

まっ やっぱ 成り行き それしかないっしょ!   オヤッさん^0^





1828 Reply テロリズム  外笑 2009/09/16 21:59

俺はテレビの前のテロリスト
    ↓
とても悲しくて無力な歌詞です。かっこよくなんて有りません。

当時 フリクションシアターでしたか、あれ歌えたのは隣に久保がいたからってのが
第一の理由かな。だいたい あんな歌を歌ってるボーカルを皆はどう見るよ!
 こいつテロ志考かよっ・・・って。若い美空のオイラだって複雑な心境でしたさ。

これは限りなく悲しい歌ですよ。
沢田研二の映画・・太陽を盗んだ男・・で彼はテロ行為をしたけど、現実に単独の
テロ行為って今まで何かあったかな。無差別殺人以外では、あまり知らないんだが。
 国家的反逆の意思を持ったテロは、やはり集団による共犯でないと実現が難しい
よね。そりゃ、俺だって、銀行やら閣僚やら住宅金融公庫やら要は国家に対してテロ行為を施したい。そういう対象の奴らは五万といるさ。でもね頭の中だけで実現しない。その行為は何かに転化しているんだとは思う そうするしかない。

身近な家族や隣人との考えの相異・・そういう対象にだって時には話し合いでなく
破壊行為にでも及ぶことだって今まで事件にだってなってるし誰にだって、そういう
押し殺した感情あるんじゃないか。一緒にいるから一緒に何かしてるから・・・・・
それだ何だっていうんだ。

娘を迎えにいかなくちゃならんので また書きます。






1827 Reply 9・14 久保AB-ST元宏 URL 2009/09/14 23:57

The hours, they bring Mr.粗いメッシュでの判断にひっかからないように気をつける、のと同種の作業(私の言葉だと、闘い・笑)と思ってるんだけれど(違うかな?・・・) cocamellow me pain♪
今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。Tangerine, 銀色の鳥が、ギブソンを抱えて交差点でぶら下がっているのを観たんだ。Tangerine♪ Living reflection from a dream♪
I was her love, she was my queen♪ And now a thousand years between♪
>今日は9・11だったんじゃあ〜りませんか!!!!

■もちろん、「日にち」に意味はまったく無いんだけど。
つまり、2001年の9月11日と、2009年の9月11日は、なんの関係も無い。
たまたま、キリスト歴史観が支配している世界に私たちが住んでいることと、いくつかの複雑なシステムの結果、そうなだけ。
それは今日が、「2009年9月14日」とゆーことに意味が無いのと同じ。
たとえば、明日は「2009年9月15日」はリーマン・ショックからちょうど丸1年で、「9・15」だけど、それもまた同様に誰かの数え方なだけ。

>記憶しとくことって大切ですよね

■だから、もしも意味が無い「日にち」に価値があるとすれば、「記憶」のため、だけだよね。
花に名前をつけることによって一緒に「物語」も花に背負わせるように、宙ぶらりんの物語を「日にち」とゆー堅牢な岩に結び付けておくこと。
そのとき、あらゆる物語を結び付けられるように、できるかぎりノッペラボーの記号が便利。
記号って、情報の互換性と流通の摩擦を限りなくゼロにするために、できる限り公平にしたシステムだから、実は民主主義よりもアナーキズムに近い思想の賜物だと思う。
■たとえば、辞書や百科事典が、単純に「あいうえお」や「ABC」順に横の関連も無く並べられている状況って、実はすげー過激な行為だと思う。
「政権交代」よりも過激な、「政権流動」だと思う。
例をあげれば、国語辞書で「穢多」の一つ前には、「エソロジー/ethology ; 動物が自然環境下で示す本能行動を研究する学問。」があり、
「天皇」は、「テロリスト」と「電波」に挟まれている。

>それでも久保さんが思われた様に、展望台はなんとなく田舎くさい観光地のようだった。

■ああ。君もそう感じたかい。
私がワールド・トレード・センターに昇ったのは月曜日だったけれど、もう7:50Pmだったからか、なんだかもう閑散としていたよ。
その閑散ぶりと、ワールド・トレード・センターの機能優先でデザイン性無視な感じの、まるでプレハブのような安普請な建築がより田舎の寂しさを演出していたんだよな。
■そうそう、それ以上に、あとで思い出したら、ドキッとするようなことがあった。
それは、私はワールド・トレード・センターに行く直前に、通勤用の無料の船「ステタンフェリー」に乗ってマンハッタン島からステタン島までを往復したんだ。
それは自由の女神を海から見たかったからでもあるんだけど、自由の女神は遠かったけど(がくっ。)。
で、その船の帰路、
Pm 6:00

水平線上に棒グラフのように伸びている摩天楼群が近づいてくるのは、やはりド迫力。
ワールド・トレード・センター(世界貿易センター)を背景に写真を撮ろうと、
近くにいたアラブ系の男に頼んでシャッターを切ってもらう。
が、帰国後に現像すると写っていなかった。
StatenIsland

ってコトがあった。
船がマンハッタン島に近づくにつれ、船の甲板の先端にはマンハッタンを見ようと大勢の人が集まるんだけど、その中でのできごと。
そのアラブ系(=たぶん、アラブ人だ。)の男性は2〜4人で、やや悲しげで真剣な表情で人ごみにまぎれながら摩天楼のビル群を見つめていた。
ときどき、口少なげに会話をしながら。その沈んだ雰囲気は、回りのハイ・テンションな摩天楼ウォッチャーたちとは明らかにコントラストを形成していた。
そこへ能天気なジャップ旅行客の私がへたくそな英語で「摩天楼をバックに私の写真を撮ってくれ。」と口をはさんだんだから、困った顔のまま渡したカメラのシャッターを押してくれた。
その彼らが、9・11の準備をしている会話をしながらワールド・トレード・センターを見つめていた、のだとしたら???なんだけど。

>地下鉄にギュウギュウ詰めでキツイ顔して通ってくること。⇒まさに日本と同じ!!

■もちろん日本より先にニューヨークがそうだったんだろーけど(笑)、
高層ビル、通勤ラッシュ・・・・・・。世界総新宿化計画完了!ってか。

>2001年の9/11は当時一才だった娘を寝かしつけながらTVで

■ああ。私も21世紀に子供を作りたくて、3番目の子供が2月21日に生まれたんだけど、
たぶん、君と同じ情況でテレビを見ていた。
最初はNHKの9時のニュース番組を観ていたら、9:50Pm・・・。
『共犯新聞』には、こう記録されている。

この映像は生中継されていたNHKテレビのニュースで、
日本の視聴者が目撃することとなる。
テレビ朝日は『ニュース・ステーション』開始の9時54分には、
提携しているCNNからの映像を日本国内での第一報として、
報道していたが、第二の衝突時は、
台風15号のニュースをしていた。
しかし、まもなくNHK教育を除く全てのテレビ局が、
「NY同時多発テロ」を報道。
戦争の実況生放送という前代未聞の環境になる。

■それを共犯句集「句小説 9・11」で、「松茸や世界同時の生放送」と書いたんだよね。

>共犯新聞のゲストブックには似つかわしくない

■そんなものは、ないよ。

>peace.

rage against the machine
今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。Testify
Mass graves for the pump and the price is set

>スゲー見づらい!!「青山真治」って誰だよ!

■あはは。それ、カキコミ文字のバックの薄い色のことなんだよねー。
せっかくカキコしてくれたのに、ごめんねー&ごめんねー。
そのかわりに、レスするときのカキコミ・フォーマットの「青山真治」のとこに、永遠に君の名前を刻んでおくよ(笑)。

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Could it be Ms.おっす、ひろみ嬢♪月見猫 has found another game to play, What did mama say to me?
やわらかいハンマー。土の匂い。そして、またジュース。That's The Way, Oh, スープの意味は?ローズマリーが今夜、降るだろう。きっと。That's The Way it oughtta be, yeah, yeah♪
>「ワールドトレードセンター」の映画をテレビで放映する宣伝とか

■ああ、そうだ。今年の9・11、私はボケっとテレビで映画『ワールド・トレード・センター』を観ていたっけ。
この映画、もっと『タワーリング・インフェルノ』的パニック映画(?)かと思っていたら、案外、低予算映画(?)だったな。
確かに、あの「事件」は、360℃ぐるり的「物語」が詰まっているのは間違いないのだから、どんな「事実」も、「事実」ではあるんだけれど。
それでも、2時間ほどの映画にでっちあげる時、そして、その映画のタイトルを『ワールドトレードセンター』と普遍的な「記号」に閉じ込めようとする時、
はたしてこの映画がこの「事件」の全体像を背負いきっているかと問えば、答えは、NOだろう。
テレビで映画などめったに観ない私が、こんな「作品」につき合わされちゃうと、映画欲が疼いて、9・13には札幌の映画館の暗闇で、3本。
んで、帰宅すれば、またしても(?)テレビで映画『9・11アメリカ同時多発テロ 最後の真実』がやっていた。がくっ。
ふ〜ん。途中からのチラ観だけど、『ワールドトレードセンター』よりも真摯な作風に感じたな。
それでも、日本では連合赤軍を映画化するまでに数十年かかったんだから、商業映画とは言え、「取り組む」ことは否定してはいけないんだろーな。

>「ああ、終戦か」と思うのと一緒です。

■毎日が記念日、だからね(笑)。

>「勧善懲悪」の図式に当てはめることはどうしてもできない。

■9・13の朝日新聞の書評欄には、
ヘブライ語もアラビア語も駆使できる日本では貴重な中東研究家=臼杵陽(うすき・あきら、1956年生まれ。)の
著書『イスラームはなぜ敵とされたのか  憎悪の系譜学』(青土社)が紹介されていたね。
この本は、欧米がイスラームを敵と断言しちまいがちな情況の分析本なんだけど、知識人や研究者の責任の重さもテーマにしている。
小杉泰による書評から一部分を抜書きすれば、こんな感じー。

友敵二元論によって、イスラームという敵が作られた。
それだけではなく、
「敵の敵は味方」という論理で政策が決められ、国際関係がゆがんでいる。

ここらへんは、違う言い方で月見猫も私も1980年代初頭から言ってきたことだけど(笑)、相変わらずだね、ってことだな。
つまり、「敵」と「同じ文法で闘う」と、「敵」と同じになっちゃう、ってことだと私は思う。
同じルールで闘う参加者は、みんな同類だ、ってことだ。
■9・16に成立するであろう「政権交代」内閣。
結局、前回の総選挙と同様に今回も、私に言わせれば「マニフェスト選挙」じゃなくて、「キャッチ・フレーズ選挙」、だった。
前回が「郵政民営化」。今回が、「政権交代。」。
8・8の北海道新聞で田原総一郎が中島岳志との対談で、こう言ってた。

(テレビの)ワイドショーは視聴者が気軽に見られる番組を作りたがる、
だから分かりやすく単純な「勧善懲悪」に傾きがち

前回は小泉が「善」で、反改革派が「悪」。
今回は民主党が「善」で、自民党が「悪」。
小選挙区制のシステムとは言え、日本人って、ここまで単純だったのかっ!
中島岳志は、今回の選挙を、自民党への「お仕置き」選挙と言ってたけど、田舎芝居の観客のヤジが308議席になったんだろーな。
有権者(=消費者!)は浮気者で、残酷だ。
で、問題の本質は、それがリテラシーの裏づけが薄いところで起こる流動的な事象に過ぎない、ってこと。
もちろん、これはファシズムの原理でもあるんだけどね。
せめて今回の選挙の争点(?)だった「子育て支援」で、きちんと、今のガキどもを「教育」しておいてほしいな。
もう、今の日本のオトナは下品すぎる、から。

>自分も、テロリストの側に共感できる感性、持ってるじゃん。

■かつて英会話スクール『すずめの学校』で英語でテロリストについてディベートしたことがあって、
もちろん(?)私はテロリストへのシンパシーと、その理由の出所を説明したんだけど、
私の意見にあっけにとられて、テロリストは完全否定するのが当然だ(=まるで、交通規則のように・笑)と語っていた=思っている日本人がいた。
まぁ、いるだろーね(笑)。
■そう。「賛成」じゃなくて、「共感=シンパシー」だよね。
そこを語らないと、「勧善懲悪」の単純な二原論になる。
かつて沼田高校の廃校問題を議論しているときに、
「PTAは、自分の子供を沼田高校に入れる者のみが、沼田高校の廃校に反対する権利がある。」とゆー論理がまかり通っていたけれど、
そこに私が、
「今日からは自分の子供を沼田高校に入れるかどうかと、沼田高校を愛している=地元に高校が必要だ、とゆーことを分けて自由に話そう。」
と提案したら、一気に議論が豊かになったことがあった。
たいていのルールは、大きな台本を作っている者があらかじめ準備していたものにすぎない。そいつが作る前には、無かったんだ。
だから、私たちがつけておくべき体力とは、既成概念のように見えるルールを見抜くために、遠くまで行けるリテラシーという本質なんだね。
そのときにこそ、ようやくテロリストが不要な世界への議論が始まると思う。

>メンバーとの雑談で思い出した「フリクション・シアター」が話題に。

■もし、あのバンドがビートルズのように『アビィ・ロード』みたいな解散アルバムを作っていたら(笑)、
まちがいなくA面は「フィクション・シネマ = フリクション・シアター」が中心で、B面は「空中ピラミッドの生活」がメインに構成されていただろうね(笑)。

>「かの国の不特定多数」になってしまって

■なるほど。そうかー。
くだけちったワールド・トレード・センターの無数の破片は、「不特定多数」の目に見える象徴だったんだね。



1826 Reply 9.11 月見猫 2009/09/13 02:15

忘れてはいなかったあたしだって、似たようなものですよ。

「ワールドトレードセンター」の映画をテレビで放映する宣伝とか
そういうものあちこちで目にして
「そういえば」と思う。

お盆のころに関連記事の洪水をメディアから浴びせられ
「ああ、終戦か」と思うのと一緒です。

ただ、あの日ビルにいて、図らずも犠牲になった人やその遺族には
言葉のかけようもないけれど、
そこだけを切り取って
「勧善懲悪」の図式に当てはめることはどうしてもできない。

だって。
自分も、テロリストの側に共感できる感性、持ってるじゃん。

実は今日、ミニアブストのリハーサルがあってさ。

今回の選曲には入ってないんだけど、
メンバーとの雑談で思い出した「フリクション・シアター」が話題に。

そこでも言ったのだが、あたしは

「俺は テレビの前の テロリスト!
 脳味噌の 中で 弾をこめる」

ってとこが最高にかっこいいって、今も思ってる。

あの日、テレビの前どころか、実際に繰り出したテロリストの狙いは、
もはや「かの国の要人」ではなく
「かの国の不特定多数」になってしまって
9.11は強烈な負の印象をあたしたちに残した。

仮想する敵の存在が、目に見えないほど、特定できないほど
大きくなってしまった悲劇。




1825 Reply Re:9・11 cocamellow URL 2009/09/12 01:21

スゲー見づらい!!「青山真治」って誰だよ!
名前と色が一致しねーよ!!



1824 Reply 9・11 cocamellow URL 2009/09/12 01:18

今日(昨日かな?)9/11だったのね。



共犯新聞一面を見てなんで昔行った海外旅行のことが。。。

などと思いながらスクロールしたらなんと!!!

今日は9・11だったんじゃあ〜りませんか!!!!

すっかり忘れてちゃって。。。

俺ってひどい!日本人ってヒドイねー♪



記憶しとくことって大切ですよね、大切なものを失いがちな

今日この頃を改めて思い起こさせて頂きました。



ぼくは久保さんが昇った2年前1999年の5月に

ワールドトレードセンターにのぼりました。



朝9時位だったので、センターで働いてるヤッピー達を尻目に

展望台に昇ったら、みやげ物屋とレストランはまだ閉まってて

それでも久保さんが思われた様に、展望台はなんとなく田舎くさい観光地のようだった。



それにもまして印象深かったのは、デッカイ駅に沢山のヤッピー達が、

地下鉄にギュウギュウ詰めでキツイ顔して通ってくること。⇒まさに日本と同じ!!



2001年の9/11は当時一才だった娘を寝かしつけながらTVで

ニュースステーションを見ていてほぼリアルタイムにワールドトレードセンター

の惨劇を知りました。

そして僕がワールドトレードセンターに昇った思い出は、

なんとなく胸の苦さを伴うものになってしまった



しかしあのヤッピー達は今もみんな生きてるかな〜、、、

みやげ物屋で開店準備をしてたオッちゃんやバイトの子は元気かな〜



共犯新聞のゲストブックには似つかわしくない

取り留めの無い書き込みをしましたが、

心に留めておくべきことの大切さをなんとなく感じたので書いて見ました。

peace.




1823 Reply 楽器増えれば金が無くなり放蕩児 久保AB-ST元宏 URL 2009/08/22 04:07

What did Mr.「見つめればいつか見尽くす日もあるか兄の美貌をとどめるイコン」 松野志保ニトベイビー bring me, my dear friends?
Keep me from the 今夜2時から、脳味噌のなかでパーティがあるんだ。だれかぼくを山の上に飛ばしてくれよ。Gallows Pole
>留萌の坊主です。

■お盆は、がっちり稼ぎましたか(笑)?

>『共犯新聞』、現代版、正岡子規のパラパラ・・・「小日本」といったところでしょうか、言いすぎでしょうか(笑)。

■いや、それでも言い足りません(笑)。
私としては、リアル・タイム版、永井荷風『断腸亭日記』か、低学歴版、田中康夫『東京ペログリ日記』(がくっ。)かな、とも思っておりましたが(笑)。
■それにしても、『共犯新聞』を読んで正岡子規を連想するなざ、さすが、地の果ての(←大きなお世話かっ!)ロケンロー寺☆坊主!でかしたぞ(?)。
俳人の坪内稔典が、自由民権運動をめぐる文学者の評論の中で、
「子規は政治ではなく、演説に熱中したのだ」と、書いていますが、
ここには詩人の複雑な入れ子状態のエンジンが指摘されていると思います。
私たちは、言葉に熱中し、メロディーに熱狂し、リズムで発狂する。
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieジョン・レノンとアドルフ・ヒットラーの声が似ていると書いてあったのは、村上龍の小説『コインロッカー・ベイビーズ』の中だったかな。
そして、それらは「政治」が蔑まされているんじゃなくて、だからこそ、「政治」、なんですよね。
そこには誤解のリスクがあるから、遠藤ミチロウのようなアレゴリーの手法を使う場合も含めて、常に表現者は逃げられない、っーか、そこに居続けるからこそ、表現者なんですよね。
もしかしたら、35歳で死んじまった子規が、あと70年後に生まれていたら、イギー・ポップか、キヨシローになっていたかもしれませんね。

>先月の沼田でのライブも大盛況の大成功だったようで。

■おおお。
ちゃんと、カフェ☆コーヒーの湯気。昭和プラスでの♪指がなくなる前にFFFロケット姉妹ライブ、チェックしていてくれたんですねー♪ありがたいー。
私たち、沼田町のバカ野郎どもが、なぜ、こんなことをしたか、って理由のひとつが、君がさらに地の果ての(笑)増毛町で、ロケンロー・ライブ・ハウス寺小屋(?)を持続ローロングしているからさ。
ありがとー。
■さっき、深川市のケーコちゃんから、こんなメールも来たんだけど、


ライブお知らせ
差出人: 星野 桂子
送信日時: 2009年8月21日 10:25Pm
宛先: タテワキ、久保AB-ST元宏


館脇さん 久保さん

夜高あんどんのコマーシャル見てて
忙しいとわかってるんだけど
一応お知らせ☆

明日 ライスランドふかがわの
特設会場で
昼から ずーっと ブラスバンドとかの
演奏があって
午後8時からは
松井卓也さんのバンド演奏があります。

松井さんのバンドは
ラグドールと言うのだけれど
明日は メンバーの一人(もう一人のギター)が
調子が悪くて
皮りの岡部一郎氏が 入る為
違うバンド名で出る予定です。

私も となりなので
覗きに行こうと思っています。

それでは。


■この、松井ってのは私よりも3歳年上の深川西高校の先輩なんだけど、
私が東京でバンドをやっている時に、ぐーぜんに再会したんだ。
高円寺にあった、レッド・ハウスってライブ・ハウスで店がくっつけて対バンでふたつのバンドでやっていて、彼らはRCサクセション+ストーンズみたいな、「スター・ファッカーズ」(笑)ってバンドだった。
それが、私が沼田町に帰省して生活していると、なんと、松井さんも深川市に出戻り(?)してんだから、まぁ、面白い(笑)。
松井さんのことは、ここの共犯ゲスト・ブック常連の、外笑や、テラダヤ、月見猫らもよ〜く知っているから、まぁ、それが今や深川市のケーコちゃんの近所でエレキを弾いて騒いでいる(笑)んだから、
ロケンロー・マジックって、超ふ・し・ぎ〜。


>まだ一度も沼田のあんどん祭りに出かけたことがなかったのですが、今年は遊びに行ってみよ

■おっ。是非、駐車場は、我が社の無料♪空き地を利用してね♪
それとも、<増毛町→沼田町>は、我らがラブ・トレイン=JR留萌線のホット・ラインが直結されているから、これを利用すれば、酒もガン&ガンいけますな♪
いずれにせよ、カンパイいたしましょー♪
芦別『DYLAN』でニトベイビーさんに一緒に出逢ったやつらも、いますから〜♪

★緊急オフ会!?かよっ♪よいやさ!
私はヤキトリを10本、買ったんだけど、
知り合いが登場するたびに配っていると、あっとゆー間に無くなった(笑)。

>9月1日に留萌で人喰い部会長〜♪ギターパンダこと山川ノリヲさんのライブがあります。2,3Sのノリヲさんです。 最低で最高な夜

■おお。チャボもライジング・サン2009で、いい感じだったよーだし、キヨシロー新型インフルエンザ、どこまでも広がる気配っ!
留萌は、我らが♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Diejimono先生☆生誕の地だし、もう、長生きはやめられないっ♪



1821 Reply お久しぶりです。 ニトベイビー 2009/08/21 11:09

久保様、

どーも、ご無沙汰しております。
留萌の坊主です。

『共犯新聞』、現代版、正岡子規の「小日本」といったところでしょうか、言いすぎでしょうか(笑)。 いつも楽しく拝読させてもらっております、実は。

先月の沼田でのライブも大盛況の大成功だったようで。 
私たち夫婦もお邪魔しようと思ってましたが、妻のお腹の張りがひどく、泣く泣くご遠慮させていただきました(涙)。 次回の開催を期待しております。 

北海道に越してきて6年、増毛・留萌に来てからは5年が経ちますが、まだ一度も沼田のあんどん祭りに出かけたことがなかったのですが、今年は遊びに行ってみよとなんざ思っております。 留萌のすぐ隣り町ですもんね。なんで今まで行かなかったのか・・・。

というわけで今からとても楽しみにしております。 忙しいとは思いますが少しでもお会いできたらうれしいです。

それではまた。


そうそう、それから
9月1日に留萌でギターパンダこと山川ノリヲさんのライブがあります。2,3Sのノリヲさんです。 最低で最高な夜になると思います。 良かったら皆さんで遊びに来て下さい。




1820 Reply 月にかわって、お祈りよ! 久保AB-ST元宏 URL 2009/07/28 22:54

Ms.おっす、ひろみ嬢♪月見猫 out on the tiles
>インドに居たとき、満月になると必ず、それはやってきた

■それは、インドが地上でいちばん月に近いからか?
インドと月は、姉妹都市なのか?
月は地球の一部分から、ひょうたんのよーに飛び出して分かれた、とゆー説があったけれど、その飛び出した部分がインドなのか?
飛び出した時にひっぱられた跡が、チョモランマなのか?
月でウサギがついているモチは、カレー味なのか?
『美少女戦士セーラームーン』の髪の毛が黄色いのは、カレーの喰い過ぎか?
「ゼロ」は、インド人が発見したらしーけれど、それは単に満月を描いた落書きだったのか?
インド女は、みんな満月になると同時に生理になるのなら、安全日も、危険日も、全国統一されているのだろう。
もしかしたら、それらが書かれた『国民セックス便利カレンダー』がインドでは売られているのかもしれない。

それは、インド人にしか分からない。



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2002年9月11日〜2002年11月20日 バックナンバー3[話題⇒09/11句小説『NY9・11』、10/02箱根駅伝オールスター、10/13みづき嬢登場!裸のラリーズ・昆野正紀氏の今]
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